January 2016

January 20, 2016

グレン・フライ死去

 1970年代に入ると、ニューヨークは景気の悪化、犯罪の増加、音楽スタジオの老朽化により、ミュージシャンには居心地の悪い街になってしまいました。1971年、デイヴィッド・ゲフィンがロサンゼルスに新しく設立したアサイラム・レコード(Asylam Records)が、「Asylam」とは、独仏語の「アジール(Asyle、Asile)、避難、亡命、保護、(亡命者などの)保護施設、聖域、不可侵」の意味、正にニューヨークのミュージシャン難民を受け入れたのでした。

 その一人がグレン・フライでした。フライは1948年デトロイト生まれ、バンド活動の後、活動の場所をロサンゼルスに移し、彼の地でソングライターのJ・D・サウザーやジャクソン・ブラウンと出会います。J・D・サウザーの紹介でリンダ・ロンシュタットのバック・バンドとなり、テキサス出身のドン・ヘンリーとともにイーグルス(The Eagles)を結成します。

 1972年、彼らのデビュー曲:『テイク・イット・イージー(Take It Easy  作:ジャクソン・ブラウン/グレン・フライ)』は大ヒット、これを期にジャンルとしてのカントリー・ロックは黄金期を迎えることになります。

Beverly_Hills_Hotel 多くのヒット曲を残してきた1976年、彼らの集大成とも云うべき最高傑作、『ホテル・カリフォルニア(Hotel California 作:ドン・フェルダー/ドン・ヘンリー/グレン・フライ)』が、後にも先にもない、大ヒットとなります。現に、イーグルスはこれを越える曲を世に出すことは出来ず、一世を風靡したカントリー・ロックの黄金期は一気に収束に向かいます。

 ブログを振り返ってみると、ビーチボーイズと並んで、いやそれ以上に…?、イーグルズがたびたび登場します。 『テキーラサンライズ Tequila Sunrise(2008/5/3)』、『アサイラム ASYRUM RECORDS、 黄金の1970年代(2009/9/14)』、『ホテル・カリフォルニアって何処にあるの?(2009/12/23)』、『『テキーラサンライズ』をもう一度(2010/3/24)』、『Standing on The Corner of Winslow, Arizona(2012/1/24)』、『Maruさん、ありがとうございました(2014/3/31)』

 如何に彼らをあこがれたか…ということでしょうが、未だに彼らの最後の、最大のヒット:『ホテル・カリフォルニア』をコピーしようとは思いません。

 10年前(?)、バンドのNobuさんとロサンゼルス近辺を旅行し、イーグルスがリンダ・ロンシュタットのバック・バンドとしてデビューしたクラブ:『トルバドゥール(Troubadour)』を訪ねたのが懐かしく思い出されます。…残念ながらお店は閉まっていましたが…。

 グレン・フライ死去、享年67歳。ご冥福をお祈りします。

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January 18, 2016

数奇者二代目 岩佐又兵衛

 摂津伊丹有岡城で信長に反旗を翻して籠城していた荒木村重は毛利方に遁走(1579)します。落城後、置き去りにされた家臣・人質122人は尼崎七松にて処刑され、信長の逆鱗に触れた村重とその家臣の一族郎党36人は京都市中を引き回された後、六条河原で斬首されます。…と、村重の謀反の様子が『信長公記』に記されているそうです。

 奇跡が起こります。落城寸前に、村重の息子:数え年2歳の又兵衛(1578年生まれ)だけが乳母に救い出され、石山本願寺に保護されたのです。

 時代は急変、「本能寺の変(1582)」を経て豊臣政権が成立しますが、村重は堺に戻り、武人ではなく、今度は茶人として復活、「利休の七哲」の一人に数えられるまでになります。芸術家として大成した村重は1586年、畳の上で死去、享年52歳でした。

 成人した又兵衛は母方の姓:「岩佐」を名乗り、信長の息子:信雄に「御伽衆」として仕える一方、絵師としての才能を発揮します。織田、豊臣、「関ヶ原」そして家康が江戸に開幕と時代は移り、岩佐又兵衛(1578-1650)は福井に居住、藩主:松平忠直・忠昌に仕えます。60歳の頃、幕府の招請を受け、江戸に上った又兵衛は江戸初期を代表する大和絵絵師と評されることになります。江戸で没しますが(1650)、遺言により、墓所は妻子と暮らした福井に在るそうです。

 中仙道、美濃国と近江の境の山中宿を幾度も往来した信長が「本来、乞食とは住所不定のはず。この者はいつも変わらず、この場所に居るのは何故か」と問うに、村の住人答えて「当所、常磐御前を殺してしまいました。その因果により、子孫の者は代々乞食となっています。山中の猿とは、この者の事でございます。」…と、同じく、『信長公記』に記されているそうです。
 
 常磐御前は何処で没したのか…、群馬県前橋、埼玉県飯能、実は私の住む東京都町田市にも「常磐」という地名があり、常磐御前に関係する地所と聞きますが、今回は関ヶ原の「山中宿」です。信長の時代(戦国時代)から4百年前の平安末期の話、物語が作られたのは2百〜3百年前の室町時代に入ってからの話、日本人の誰もが知る貴種流離譚:義経伝説、その母:常磐御前の最期が、既に今から4百年以上も前、信長の時代に一般庶民まで広く流布していたことに今さらながら驚いてしまいます。
 
 又兵衛最高傑作の一つ、『山中常盤物語絵巻』、おどろおどろした、血染めの常磐の姿は強烈、信長に惨殺された彼の母の姿でした。
山中常磐物語絵巻_2

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January 02, 2016

もらった年賀状を前に

 
紅白幕_1

新年あけましておめでとうございます

三猿像(2016年年賀状)

  風もなく穏やかな新年です。平日とは違って、さすがはお正月、年賀状の配達は朝一番に行われるらしく、私もほとんど例年通りの年賀状を頂きました。毎年、出す枚数を減らしているのですから、自ずともらう枚数も減るはずですが、それでも、今年はあまり減っていないようです。私は、どちらかと言えば、年賀状を無用と考えています。最近では『筆まめ』などのソフトで作成される人が多く、この時期になると、どこの家電量販店のチラシを見ても、その目立つところにはインクジェット・プリンターの広告、それも本体は安く、機種によっては1万円を切り、逆にインクは馬鹿高く、加えてすぐなくなる超消耗品です。年賀状を除いて、写真以外に、どんな時ににカラー印刷を使うのでしょうかね。日常に使う場合、ほとんどの場合、白黒あるいはグレーで十分、モノクロのレーザープリンターがランニングコストも安く、インクに当たるトナーも、家庭での使用を考えた場合、1年は持つのではないでしょうか。

 年賀状と言えば、今年は「申」年ですが、私はこの干支も、加えて年号も嫌いで、干支はどうでもいいのですが、年号は廃止すべきものと考えています。昭和の時代は「25を足して、あるいは引いて…」、と何とか来たのですが、これが平成の時代になると全く判らないようになり、以来西暦だけでやって来ました。しかし、行政・法律を始めとする公の多くの場面に於いては、それが法律によって決められている訳でもないのに、和暦:「平成」を使わざるを得ないというのが事実でしょう。さすがに、生年月日記入欄に(明)(大)はなくなったかも知れませんが、なぜ西暦で記入させないのでしょうかね。「干支」「元号」の本元、中国では1949年の国慶節(建国記念日)以前はともかく、共産党政権下の中国では「干支」はともかく「元号」ではなく、西暦のはずです。因みに、共産党が政権を取って中華人民共和国を樹立、蒋介石国民党は台湾島に追いやられ、中華民国は台湾省一省だけの国(?)となり、今でも大陸反攻を建前としています。共産党政権が国名「共和国」を使ったのは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)においてもしかり、たぶん…、両国は西暦を使うのではないでしょうか。

 その中国近代における歴史的事件の一つ、「義和団の乱(1900)」は既に紹介しましたが、中国の国干支から「庚子事変(こうしじへん)」とも呼ばれることもあります。映画:『北京の55日 55 Days At Peking(1963)』、同名のテーマ曲はブラザーズ・フォーが歌っていましたが、日本語版はあの「8(エイト)マン」克美茂が歌っていました。「時は1900(いっせんきゅうひゃく)年で始まります(オリジナルは The year was 1900(nineteen hundred))。これはハリウッド映画だから違和感ないのですが、70年前後、鶴田浩二が特攻隊員の出撃前の心境を朗読したことがありました。「昭和19年」で始まったと思いますが、これを「1944年」と西暦で云えば、時代もぴんとこないし、悲壮感も半減したことでしょう。年末の恒例の赤穂浪士討ち入りの日、「時は元禄十五年十二月十四日」で始まるからかっこよく、様になるのですが、これが「西暦1703年1月30日」では興醒めでしょう。ついでに、もし墓石や卒塔婆、俳句や短歌も西暦で書かれていたらいかがなものか…。

 思いついた話もこれまで…、お正月二日目、取り立ててやることもなく…、かみさんともも(愛犬)の3人、ホームセンターの安売りでテニスボール1箱(5ダース)を買い、近くの公園で梅(蝋梅)の香りを楽しんで来ました。
蝋梅
 もう一つ思い出しました。「今年はお会いしたいものです」は常套句、案の定、彼の年賀状の絵は「猿」に変わりましたが、コメントは相変わらずです。私の出した彼宛の年賀状のコメントは「今年も、たぶんお会いしないと思います」でした。
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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