October 2014

October 29, 2014

ありがとう!SUBARU

 一昔前までの車の新聞広告、どれを見ても品川ナンバーでしたが、関西からやって来た人間にとっては「品川ナンバーの何処がいいの?」、品川ナンバーにはよそ者には計り知れないステータスがあるようです。世田谷区の住民が「世田谷ナンバー」創設に反対の訴訟を起こしたとか…、私にとってはどうでもいい話です。以前、金沢に車で行った人からの話で、路上駐車をしてしまい、パトカーの拡声器から「そこの、横浜ナンバーの車」の声、すると、廻りの人達が一斉にその車を見たとか…。私を含めた関西人は、港町:横浜・神戸ナンバーに憧れるようです。

 ナンバー・プレートついでに…、その形状が「ヨーロッパのように横長の方がスタイリッシュ」との声があって検討されたが、「見直すだけの正当性やメリットに乏しい」ということで見送られたそうです。40年ほど前、輸入車が「外車」と呼ばれていた時代、その「外車」と「国産車」、見た目の大きな違いはミラーの位置で、「外車」はドア、「国産車」はフェンダーに付いていました。ミラーはデザインには入っていないそうで、国内で見る日本車フェンダーにニョキッとミラーが付いてデザインが台なし、日本車を海外で見ると、国内で見るそれとは全く違い、格好良く見えたものです。後方視界という安全面から見れば断然フェンダーミラーなのですが、その証拠に多くのタクシーがフェンダーミラーです、デザイン的には断然ドアミラーです。デザイン上、古代の遺物がナンバープレートで、こんなどでかい、いわんや軽自動車には…、ほんとうに日本の役人はダメですね。単に大きすぎるだけではなく、「品川・多摩」はしかたないにしても、ひらがなはいけません、アルファベットにすべきでしょう。あくまでもデザインの一環です。基本的には、数字ごときはどうでも良い話で、さすがにいなくなりましたが「光るプレート」など論外です。つまるところデザインとは、好きか嫌いか…、ということです。

Subaru Leone Estate Van 先日、10年間乗って来たSUBARU Outbackを手放しました。「団塊の世代」の末席に位置する私は、同世代の皆さんと同じく、車への憧れが強く、SUBARU FF1の中古車に始まり、次に買ったのがSUBARU Leone 1600 4WD エステート・バンでした。当時まだまだ日本の車社会は未成熟…、バンとは商用車で4ナンバーでした。本来ならばステーション・ワゴンなのですが、ワンボックスカー(もはや死語、今はミニバン、ミニバスでしょう?)がワゴンと呼ばれており、仕方なく付けた名前だったのでしょう。日本で唯一の…、水平対向エンジン、4WD、独立懸架サスペンション…等々、自慢の車でしたが、このネーミング:「レオーネ エステート・バン」だけは堪忍できず、購入と同時に、「Leone 4WD」のエンブレムを外してしまいました。一言で言えば、センスの悪い車でした。アルミホイールはそれほど普及しておらず、ましてや、PCD・オフセットが異なる、少数派のレオーネのホイールを製造しているメーカーはほとんどありません。よく出張で訪れたオーストラリアで8スポーク・ホイールを購入、船会社に頼んで、日本まで運んでもらい、これを履いて得意になったものです。

SUBARU + Wagon R
 任意保険の保険料をやっとのことで払い、12月にやって来る車検の費用が重くのしかかって来ます。人間と同じく、経年疲労故か、去年には旅行中にドライブシャフトのカバーが破れ、バッテーリーも交換、次の部品交換はどうなる…、重量税は?、一方ではガソリン価格も高止まり、と悩ましい毎日でした。これをきっかけにかみさんと大げんか、勢いで…「車を手放す」と宣言してしまいました。すると、「仕事で使うので私が買う」とばかりに、彼女が購入したのが軽自動車:SUZUKI Wagon R、今までは私の部屋に置いてあった車のキーは、彼女の意向で玄関ドアの近くに移動、当然の事ながら、私の許可もなく…、自分の車を使っております。

 バンドの練習日にはギター、アンプその他を車で運ぶ必要あり、「車をお借りします」、その立場は逆転しました。経済上だけでなく、暗雲が垂れこめたような憂鬱が今や一掃され、精神衛生上の負担も軽減されたのですが、近所・知人からは「代車、長いですね」、「カワイイですね」…の皮肉?、笑って聞こえていないようなふりをして過ごしています。 そう言えば、かみさんのこの言葉にも答えていません。「車の大きさが2/3じゃ、洗車場に行かなくても、ここで洗えるでしょう。」 

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October 14, 2014

散歩の途中<9> 場外編 阪神電車石屋川駅

 10月も既に月半ば、冷静に考えて見ると、今年:2014年もわずか2ヶ月半しか残されていないことに気づき驚愕する私です。

 薹が立ったような甥の結婚式、喜ばしく、見栄もはりたいところですが、現役を退いた今の私には負担というだけではありません。着る機会があるとすればそれはお葬式…と、長らく着たことのない黒の礼服、あれから体型も変わっているし…、白のネクタイはどうするの…。結局、普段とほとんど変わらない格好で出席させてもらいました。おめでとう。

処女塚
 ということで、何年ぶりかの大阪市内で「生(なま)」の大阪弁を耳にし、次の日は神戸まで足を伸ばしました。大阪梅田から阪神電車、急行で御影、各停に乗り換えて次の駅:石屋川、初めて降りた駅なのですが、ここは神戸市東灘区、江戸時代、「灘の生(き)一本」で知られる日本酒の生産地:「灘五郷」の一角にあり、近くの御影地区は阪神間屈指の高級住宅地として有名です。駅を降りて歩いて5〜6分、処女塚(おとめづか)古墳はすぐに見つかりました。よく整備された、こじんまりした前方後円墳で、一角に『小山田高家之碑』を見つけました。 弘化三年(1846)、代官:竹垣三衛門藤原直道が東明村塚本善左衛門・豊田太平・牧野荘左衛門に命じて立てさせた由。

oyamada 小山田高家、遙かの山の上よりこれを見て、諸鐙を合はせて馳せ参つて、おのれが馬に義貞を乗せたてまつて、わが身歩立ちに成つて、追つ懸くる敵を防きけるが、敵あまたに取り籠められてつひに討たれにけり。その間に義貞朝臣、御方の勢の中へ馳せ入つて、虎口に害を遁れたまふ。 - 『太平記』十六巻『新田殿湊川合戦の事』


 当地、小山田荘を開いたのは、平家:秩父一族の一人:有重(ありしげ)、12世紀、当地に至って「馬牧」=「小山田荘」を開き、小山田別当有重を名乗ります。頼朝挙兵の当初は平家方に付いたが、その後すぐに頼朝側に付き、鎌倉幕府成立(1192)後は有力御家人の一人になります。頼朝の死後(1199)、北条氏に謀られて没落(1205 「畠山重忠の乱」)、小山田氏の一部は甲斐国に落ちます。新田義貞挙兵時(1333)、有重から6代目:小山田高家が新田軍の侍大将として鎌倉攻めに参加して小山田城を奪還します。鎌倉幕府は滅亡(1333)しても次の「南北朝」の戦いが待っています。九州から京を目指す足利尊氏軍は、神戸湊川で新田義貞・楠木正成の連合軍と激突(1336 「湊川の戦」)、義貞は自分の馬を射られ、彼の危急を見た高家は自分の乗馬を義貞に与えて逃がし、身代わりになって奮闘、討死します。「恩賞」目的の忠義ではありませんでした。

小山田有重・行滋・高家墓
 時代は大きく下って明治22年、当地の名主が神戸を訪れた時にその碑を見て、そこでは高家が大事に祀られていることを知り、大いに感激、木曽・根岸・上小山忠生標識田・下小山田・図師・山崎が合併して新村を作る際に、その村を「忠臣の生まれた村」、「これからも忠義の者が生まれ出る」ことを祈って、「忠生(ただお)」と名付けました。現在も町名として残っています。西暦で云えば1889年、明治新政府が出来て20年、「尊皇攘夷」を大儀に戦った戊辰戦争は今や昔、「忠君愛国」を国是に「坂の上の雲」を見ていた時代でした。小山田高家はこんな時代に復活したのです。
20121207大泉寺バス停_342
 ご存知でしょうか?明治とまでは行きませんが、昭和初期の趣が色濃く残る「大泉寺」バス停です。


当地、小山田荘、有重の城館跡:大泉寺に、小山田有重・行家・高家、三基の宝篋印塔を見ることが出来ます。

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October 07, 2014

Who'll Stop The Rain

who'll_stop_the_rain 私のブログでの発言、『Who'll Stop The Rain(1970)』は、当時はベトナム戦争中、アメリカ軍による北爆を歌った「反戦歌」だという話があります…が、おそらくウソでしょう…とは私の間違いでした。クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバル(Creedence Clearwater Revival, 以下CCR)は私に云わせれば、「シンプル & ストレートな」、それでいて、妙に「泥臭い・粘っこい・湿気を含んだ」修飾語がお似合いの、出身はルイジアナ、ミシシッピ辺りかと思いきや、しゃきしゃきのウエストコースト、(花の〜)サンフランシスコの南、バークレーの出身でした。

 多くの曲が恋愛をテーマしていた当時、CCRの曲にはこの類の曲が一曲もありません。かと言って、当時のボブ・ディランのような社会的メーッセージ性を持っているとは露程も思っていませんでした。トム・ソーヤーの世界に浸っている彼等に遠いベトナムなど思いを巡らすはずもありません…とは、私の大きな誤解でした。ごめんなさい。

 お詫びと云ってはなんですが…、その『Who'll Stop The Rain』を歌います。実は、簡単な曲なのですが、間奏の部分、何回やっても私が半拍ずれてしまい、みんなに迷惑を掛けてしまいました。
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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