May 2014

May 19, 2014

荒木村重、正に数奇者でした

摂津国伊丹(現在の兵庫県伊丹市)、古くは「五畿七道」の「五畿」、「畿内」とも呼ばれた5か国(山城国・大和国・河内国・和泉国・摂津国の)の西端に位置し、現在の神戸市須磨区で山陽道の播磨国と接します。「名こそ惜しけれ」、「一所懸命」、恥ずかしいことはしない、卑怯なふるまいを軽蔑するのは坂東武士の真髄、京の貴種:源頼朝を据えて鎌倉幕府を建て、坂東半独立国家を作った彼等のエトスは、その後の全ての日本人の規範、原理・原則となった。しかし、その後の歴史を見るとこれらの原理・原則がまばゆい光を放って表舞台に現れるのは関東・東国ではなく、「畿内」、摂津国に極めて隣接した、ほとんど都に近い、播磨国であることが面白い、とはどこかで読んだ司馬遼太郎の言。

黒田官兵衛を始め、その家来:母里友信(もうり とものぶ)は『黒田節』に歌われただけですが、嫡男:黒田長政と不仲だった後藤又兵衛は関ヶ原戦いの後、1606年黒田家を離れて、犬猿の中だった細川忠興始め、多くの大名からの仕官の話があったが、1614年、豊臣秀頼の家臣:大野治長の招請に応じ大阪城に入る。大阪夏の陣(1615)、「道明寺の戦い」で十倍する徳川方と奮戦、討ち死にします。時代は下って元禄、1703年、「赤穂浪士の討ち入り」は日本人の心に深く刻まれているが、前者の舞台は姫路、後者の舞台は赤穂、何れも播磨国、「畿内 摂津国」のすぐ隣、「上方」、現在ならば「近畿」、「関西」という言葉で一括りにされるところが面白いところです。

伊丹市は荒木村重の居城:有岡城の在る有岡城跡町、私が小学3年から高校卒業までを過ごした…、生まれは九州ですが…、ほとんど私の出身地と云ってよいほどの土地です。その後何十年も行ったことがありませんが、当時、新伊丹から阪急電車、塚口で神戸線に乗り換えて大阪梅田まで30分ぐらいだったでしょうか…、その阪急電車に比べて、当時は国鉄(今で言うJR宝塚線?)福知山線の伊丹駅は田舎の駅、駅を出た所に在ったのが伊丹の街並み有岡城址でした。今は全く違うでしょうが、当時はただ小高い丘あるいは山があり、何処に石垣が在ったのかも覚えていません。城跡よりも、ここは清酒:『白雪』の小西酒造の街、大きな酒蔵はじめ古い街並みががきれいでした。

どうも…、荒木村重を好きにはなれませんでしたが、世間も私と同じように見ているようです。最初は池田勝正に仕え、三好家に寝返り、次は織田家、伊丹有岡城で信長に反旗を翻して籠城、説得にやって来た黒田官兵衛を幽閉します(1578-79)。側近の中川清秀や高山右近が織田方に寝返り、有岡城を抜け出し尼崎城、花隈城(現在の神戸元町)をさらに西へ、毛利方に遁走します。残された家臣・人質122人は尼崎七松にて処刑、村重とその家臣の家族36人は京六条河原で斬首、本人は早々と毛利方に亡命したのは、多くの若人を特攻隊で送りながら本人は敵前逃亡した在フィリッピンの司令官:富永恭次、近くは沈没した韓国フェリーの船長と似ています。そうこうしている内に「本能寺の変(1582)」、備中高松城の戦を即座に和議、山崎の戦いにて明智光秀を討ち取った秀吉が、清洲会議の主導権を握ります。1586年、秀吉は豊臣の姓を賜り、豊臣政権が確立します。

村重は堺に戻って、武人ではなく茶人として、千利休とも親交を持ち、秀吉の御伽衆にも加えられるようになったが、秀吉への悪口が本人に聞こえてしまい、秀吉の怒りを買うことになります。村重は、今度は出家して、これまでの幾多の過ちを恥じて、その名前を「道糞 みちのくそ」と名乗ったが、秀吉が許して「荒木道薫」に改まったそうです。彼は「利休の七哲」の一人に数えられることになりますが、正に「数奇」な人生であり、数奇者そのものでした。1586年、畳の上で死去、享年52歳。

…で、有岡城から救出された官兵衛と生き延びた村重の関係はどうだったのか、気になるところですが、最近、1583年に官兵衛から村重に出された手紙の写しが発見されたそうです。両者は気さくな関係だったようで、1年にも及び幽閉された者が幽閉した者に書いたものではないように思えるのですが…。いや、本当は官兵衛は有岡城で殺されるはずだったところを、村重が助けた…、あるいはそれ以上のことをしたのではないでしょうか。村重のことを勉強したくなって来ました。

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express01 at 20:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote History_Japan 

May 06, 2014

「平成」になってからはお手上げ

サラリーマンの時代にはなおさら、自宅で仕事をするようになってからも、お隣同士の付き合いはともかく、ゴミを出したこともない私が、ご近所にどのような人が住んでいるかを知る由もなく、どの建物・施設がその管理対象になるのかも全く知らず、ただただ順番で…、管理組合の理事になってしまいました。管理組合の総会、新旧理事役員の引き継ぎ業務など、5月は何かと忙しい季節ですが、それにともなって、管理組合発の文書・回覧板の量が増えてきました。

そこで気になるのが文書の日付です。…私だけかも知れませんが。
映画:『永遠のゼロ』の「ゼロ」とは、プリン体「0」・糖質「0」ではなく…、「零式艦上戦闘機」です。皇紀2600年=昭和15年=西暦1940年、零=0年に採用されたことに因んだとはよく聞かされた話です。推古天皇が斑鳩に都を置いた西暦601年から1260年遡った紀元前660年に神武天皇が即位したとの説があり、これが「紀元節(きげんせつ)」の根拠で、戦後になると「建国記念の日」として2月11日を祝日となりました。休日が増えたのは嬉しいのですが、その根拠としたのは神代の話です。「神武天皇即位紀元」、その年を起点に2600年が過ぎたというものでした。

「元号」は中国、漢の武帝に始まった制度を真似たものですが、現在その中国でさえ使っておらず、日本だけのようです。因みに西暦とは「キリスト生誕紀元」、ついでながら、現代中国はその四千年の中国文明の伝統を棄て、西暦=「キリスト生誕紀元」を取り入れただけではなく、その国名:「中華人民共和国」が、「中華」を除いて、「人民」、「共和国」と日本人:西周(にしあまね)が西欧の人文科学導入に際して造語した和製漢字を採用したとは…さすがに当時の前衛:中国共産党でした。またまた因みに、作者は不明ですが、「共産主義」も幕末の造語の由。

新元号「昭和XX+25=西暦19XX」までは何とかついて行った私ですが、「平成」になってからはお手上げ、それからは元号を棄て、西暦一本になってしまいました。速いもので、その「平成」も26年になりました。この元号、廃止する訳にはいかないのですかね? 「一世一元の制」で、元号は皇位の継承があった場合にのみ改める事を定めているだけで、公文書などにおいて元号の使用を規定されてはいません。しかし、公文書においては生年などを記載する際、西暦を選択しまたは記載するためのスペースはほとんど設けられていないそうで、実質的には元号を用いなければならないことが多い。元号の使用を潔しとしない私ですが、公文書ではないにしろ…、管理組合などの文書には、後で訂正されるのも嫌な話で(訂正されるはずもないのですが…)、最初から元号を使ってしまいます。

自分の生年月日を記入する場合、多くの記入欄には予め「昭和」・「平成」などの元号が印刷されており、それをで囲むことが多く、自ずと「昭和XX年」、和暦:元号を使うことが多くなりますが、何の表記もないときには「19XX年」、西暦を使います。しかし近代・現代史を語る場合、「昭和」・「大正」・「明治」と云えば、その時代夫々のイメージが頭に浮かびます。今でもこんな言い方をするのでしょうか…、「戦前生まれ」の人にとっては太平洋戦争(あるいは大東亜戦争)が正に多感な青春時代、歌う歌といえば軍歌、時代に絡む年代呼称は必ず「昭和」、こう呼ぶことでグーッと悲壮感が漂います。「戦後生まれ」の私の世代は「東京オリンピック(1964)」と「大阪万博(1970)」、私の昭和歌謡といえば、舟木一夫の「高校3年生(1963)」ザ・ピーナッツの「恋のバカンス(1963)」、戦前生まれに比べたら軽いですね。

人生も残りの方が少なくなってきました。辞世の句を読んだとして…、「西暦」ではどうも様にならないようにも思えるのですが…。

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express01 at 11:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote My Scrap Book | History_Japan
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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