April 2014

April 29, 2014

ニュースをヒントに、歴史をちょっと

19世紀 捕鯨 国際司法裁判所は、日本の南極海での調査捕鯨は事実上の商業捕鯨であり、調査捕鯨とは認められないとする判決を下しました。日本にとっては「まさか…」の敗訴だったそうです。TPP交渉最大の焦点:「米(こめ)」と同じく、「鯨肉食は古来からのもので日本文化そのもの」との主張でした。「日本文化」を持ち出してくるとは…、日本人である私には摩訶不思議に思えてしまいます。和歌山県大地町の文化、山口県下関市の文化、というのであれば話は判りますが、日本全体の文化ではないでしょう。戦後、動物性蛋白質の不足を補うために小学校の学校給食で鯨肉を食べたこと、今でも手に入るかどうかも知りませんが、わさびの効いた「くじらの軟骨の粕漬け(?)」が子供心においしかったことが思い出されます。「食料安全保障上の観点…」はまだしも、日本文化、その中核をなす食文化とは…無理があるのではないでしょうか。日本人の多くは、捕鯨自体に積極的に賛成というよりも、「反捕鯨」という価値観の一方的な押し付けに反発を感じているのです。

 満州事変(1931)の捜査を行った国際連盟のリットン報告書の提言が賛成:圧倒的多数で採択されて、日本は完全に国際世論を敵に回し、結果、国際連盟を脱退(1933)しました。しかし、松岡洋右は帰国して日本国民からは熱烈な歓迎を受けたのです。もし、報告書の範囲で日本が撤兵していれば事態は違った方向に向かったでしょう。国際政治を動かすのは、軍事力、経済力そして「国際世論」です。国際世論の主導権を握れるかどうか、ということです。正しいとか、間違っているとか、…それ以前の問題です。

 19世紀、産業革命の進展により夜間労働時間が長くなり、ランプなど灯火用油・潤滑油の需要が増大、それを満たすために太平洋においても盛んに捕鯨(特にマッコウクジラ)が行われるようになった。「米墨戦争1846-1848)」以降、アメリカの捕鯨船が日本周辺の北西太平洋にも現れるようになり、当時のアメリカ海軍の任務は「漂流民の保護」であったと云います。「漂流民の保護」に加えて、「捕鯨船の泊地・薪水の確保」が後のペリー提督黒船来航(1853)の動機でした。彼等は、ただただ、鯨油採取のためだけにクジラを乱獲したのです。メルビル船長の『白鯨』の如く、160年前は世界中の海を走り回ってクジラを追っかけ回していた人間が、今になって、手の平を返したように、「イルカと同じ高等動物であるクジラを殺すな!」とは、日本人には理解できません。しかし、「国際世論」は刻々と変わっていくのです。「国際世論」を味方にしなければ、如何にお金をかけても、如何に正しいことをやったとしても評価はしてくれないことは、近世・近代史が証明しているところです。

 時代はおもいっきり遡って南北朝(1336-1392)、南朝側の参謀:北畠親房は転戦中の常陸国小田城で『神皇正統記(1439頃)』を著し、下って徳川の時代、同国水戸藩の藩主:水戸光圀(1628-1701)は、その勤皇・尊皇思想を『神皇正統記』に由来する『大日本史』の編纂を始めました(1657 1906に完成)。幕府の御用学問:「朱子学」を基礎に、国体観念・尊皇思想を加えて発展、時代はさらに下り、鹿島灘沖にもアメリカの捕鯨船が出現する水戸藩では幕末の一大思想:「水戸学」が藩主:徳川斉昭の主導で沸騰、これに徳川幕府は大いに恐怖、将軍継嗣問題も絡む「安政の大獄(1858)」、そして維新回天の契機となる「桜田門外の変(1860)」につながっていきます。

 1865年、「水戸学」を主導してきた斉昭の息子:一橋慶喜は最後の将軍、第15代将軍となります。1868年、官軍側の挑発に乗った幕府軍は京都に進軍しますが、伏見における初戦の戦況不利と見て、「最後の一兵まで引いてはならぬ」と厳命しておきながら、将兵を置き去りにして、自分はさっさと江戸へ逃げ帰ったのです。
フェリー沈没事故
 今回の「韓国のフェリー沈没事故」、乗客には動かないように指示、一方では、制帽も制服も脱ぎ棄て、半パンツに救命胴衣を付けた船長が真っ先に船を脱出する様子が報道されています。最近の2つのニュースをヒントに、ちょっと歴史を振り返ってみました。

ps: 亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

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express01 at 19:47|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote History_Japan | Recent Event

April 18, 2014

散歩の途中<8> 秘密の花園

何気なくテレビを見ていると、横浜市内ではシャクナゲが満開の様子、もう少し遅い…、4月末…と思っていたのですが、案外早く咲いたようです。朝の散歩は、南に下って相模原市との境:境川で折り返して、桜美林の交差点に位置するMacでお決まりの百円コーヒーを楽しみます。コーヒーを飲みながら待つこと5分、予測通り、Ikeさんが現れました。彼はお孫さんを小学校に送って、その帰りにMacに立ち寄ることを日課にされているようです。思い起こせば、もう3年以上になりますか…、お互いにMacで見かける顔とは認識していたのですが、高血圧症の治療で通った多摩丘陵病院のトイレで「あっ!」とばかりに鉢合わせ、それを機に彼の参加するテニスの仲間に入れてもらいました。

テニスだけではなく、山歩きが好きな彼、私の散歩道とも重なるのですが、「小山田庄」にも幾度かご一緒しました。去年の今頃か…、その時に連れて行ってもらったのが散った後の「五反田谷戸の畦桜」の古木でした。私の記憶では、この五反田谷戸の裏側に広がる森林の一角に「シャクナゲの群生」が見られるはずでした。

Ikeさんに「シャクナゲの群生」見学を提案すると、二つ返事で了解を得、早速その日に出かけることになりました。二人の先入観は奇しくも一致して、五反田谷戸の裏側に広がる森林の一角でした。「五反田谷戸の畦桜」で休憩していると、裏山から降りてきたハイカーにはこの「畦桜」の講釈し、ついでに我々の向かっている「シャクナゲの群生」の話をすると、その彼は大いに心を奪われたらしく、我々に付いて行くと云います。ということで、3人して裏山に入り、それらしい道を行きますが見当たりません。途中、草の葉を撮影しているカメラマン、散歩している地元の人らしき爺さんにたずねるも、「シャクナゲ?この辺じゃ、聞いたことがない」、「シャクナゲ?誰かが育てているの?5月じゃないの?」、と我々の了解とは接点すらありません。在の人間が知らないものをこいつらは知るはずがない…、とばかりに、後をついてきた彼も我々を馬鹿にした…か、どうかは知りませんが、終いには、「私は右へ行きますので …」、そそくさと、去って行ってしまいました。

行きつ戻りつ、それから1時間(?)、…どうも昔、ここを通ったような気配を感じた刹那、二人が昨年見た看板が目に飛び込んで来ました。遂に…、苦節…、涙…、地元の人間でさえ知らない「秘密の花園」:「シャクナゲの群生」に辿り着いたのです。それは、五反田谷戸から3つ目の谷戸、「奈良ばい谷戸の裏手」でした。一時は、自分の記憶は棚に上げて、Ikeさんの山歩きの知識・能力に大いに疑問をいだいた私ですが、そんなことも忘れてリュックからカメラを取り出します。…が、いざカメラのスイッチを入れると、「電池残量なし」の表示…、先日の「〜畦桜」以降、充電していませんでした。代わりにi Phoneで撮ったのがこの写真です。
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辿り着いてみると、侵入者は我々だけではなく、既に多くの人に進入を許しているようです。現に、我々が見物している間にも、姿は見えませんが、喋りながら通り過ぎて行くのが聞こえます。「…今年も、シャクナゲがきれいね!」 決してここは「秘密の花園」ではありません。人からものを尋ねられても、自分の興味のあるものなら答えるでしょうが、いくら自分の近くにあるものでも、興味がなければ答えようがないでしょう。我々が午前中に出会った在の人たちはシャクナゲには全く興味がなかったのでしょう。

来年は私も誰かを案内することができるでしょうが、その時も、「秘密の花園」であって欲しいものです。

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April 09, 2014

散歩の途中<7> 五反田谷戸の畦桜

やっと季節が巡って来ました。『散歩の途中 絵で辿る散歩道』で皆様にお約束した山桜の開花を見逃すわけにはいきません。そこは…、仕事も少なく、既に隠遁者のような生活、お金はともかく、時間だけは自由になります。3月末、最初の偵察では何の兆候も見られず、4月1日にはかみさんと犬を引き連れて…、ほとんど前回に同じでした。そして4月7日、何やら胸騒ぎ…、朝一番とは行きませんでしたが、かみさんの電動アシスト自転車を駆り、先ずは坂を北へ下って大泉寺、山間の道を抜けて、交差点を右折、日大三高の北側、バス亭:「結道(ゆいどう)」を過ぎた当たりまで、約30分、その高低差、私のプッシュ・バイクではそうは行かないでしょう。

ここは「五反田谷戸」と呼ばれ、以前にも触れましたが、秋になると豊かな稲穂で覆われ、『案山子フェスティバル』のメイン会場でもあります。 自転車を置いて、左、北に向かって細い農道を行くと農家の庭先に入ってしまうので、その道を右に入ると、そこは谷戸田、ちょろちょろ水の流れに沿って登って行きます。ぬかるんだ畦道を5分も歩くでしょうか…、急に視界が開けて、忘れていた農村の晴れ晴れとした風景が目に飛び込んで来ます。地元では「五反田谷戸の畦桜」と呼ばれているらしく、樹齢:ニ百年、一説には四百年という話もあり、私の目には神秘的にさえ映ります。

ロケハン(=Location Hunting)とは監督のイメージ通りの映像、あるいは、絵コンテ通りの絵を撮影できる場所を探すことですが、私の散歩道である「小山田ノ庄」には撮影に使われた場所がいくつか存在します。最近の話では、今年1月18日、テレビ放映された、田村正和主演の『3億円事件』(松本清張原作:『小説3億円事件』)、事件の時効が成立した1976年(昭和51年)当時の住宅を再現するために、近くにある尾根道の南、桜美林大学の北に位置する住宅街が使われました。田村正和ファンの近所の奥さんが停止線を越えて侵入、スタッフから連れ出だされたとか…。確か、かみさんも彼のフアンのはずですが…、まさか…。

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「忘れようと…、忘れ果てようとしても…、忘れられるものではございません。」 

そうです。藤沢周平原作の映画:『蝉しぐれ』、20年後、初恋の…幼なじみのおふくを前に…、牧文四郎の言葉です。映画:『蝉しぐれ』のタイトルバックに使われたのがこの「五反田谷戸の畦桜」だそうです。藤沢周平の大ファン、Toshiさん、如何でしょうか?

ps:後日談ながら…、畦桜の話をすると、その人は4月5日に咲いているのを見たと言い、4月10日、かみさんが友達と行ってみるともう終わっていたと言います。前後の関係から、畦桜の開花は、長く見ても4月2日〜9日の8日間、満開は4月5・6・7日だったようです。

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express01 at 22:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote Local | Movie
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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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