December 2013

December 31, 2013

第5回 かってに、HKX紅白歌合戦

このブログ:『ISAO's Scrapbook』、1日の訪問者数(Unique User数):30〜40で推移していたのですが、突然、12月24日から上がり始め、一昨日、28日には138、通常の4.5倍〜5.5倍の訪問者があり、「こりゃー、サイト炎上か?」…、と一瞬恐怖してしまいました。

原因はすぐ判明、24日に公表したブログのタイトル:『年賀状、気の利いたコメントは?』でした。郵便局の『年賀状は25日までに』のキャンペーンもあり、ちょうど今の時期、皆さんの多くは年賀状作成に知恵を絞っておられます。宛名だけではなく、最近はおめでたい絵さえもパソコン任せ、何か気の利いた手書きのコメントを添えたく、ネットを検索されているのでしょう。因みに、当ブログに訪れた検索キーワードは多い順に「年賀状」→「コメント」→「気の利いたコメント」→「気の利いた年賀状」…、検索語ズバリのタイトルです。久しぶりのプリンター、印刷途中でインク切れ…、それに加えて、気の利いたコメントを考えるのはしんどく、勢いネットに頼ってしますのでしょう。

私は毎年、年賀状の枚数を減らしたのですが、出しても、出さなくても頂く枚数は同じ、根負けして最低必要数は出すことにしています。ましてや、小学校以来の絵を再開、その絵を皆さんから喜んでもらっているので、今回の年賀状はそんなに苦労することもなく早々と出し終えています。どんな年賀状なのか…、お正月にはお見せすることにしましょう。
Christmas Live Concert

12月22日(日)、"STUDIO ONE(埼玉県東松山市)”でのライブには多くの方に来ていただきありがとうございました。コンサートでは8曲を演奏、三脚にビデオカメラとPCMレコーダーを置いて録音・録画に臨んだのですが、ビデオカメラで録画は右端が切れ、何故か…、最後の7・8曲目が記録されていません。ということで、PCMレコーダーには録音されている曲を持って今年の『第5回 かってに、HKX紅白歌合戦』にしたいと思います。※因みに、『第1回〜』『第2回〜』『第3回〜』『第4回〜』
5回HKX紅白歌合戦
『Bye Bye Love』、サビから1番に入るのですが、喉がつかえてヘン。歌い込んでいるはずなのですが…。『Bluemoon Of Kentucky』『Let Your Love Flow』『More Than I Can Say』『Memphis』と続き、『Rock 'n' Roll Christmas』が唯一クリスマスらしい曲で。

『Sister Golden Hair 』


『The Way 』、我々にとっては最新の、1990年代の曲、大事なところで私のチョンボでした。


2014年が良い年でありますように…。

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December 29, 2013

冬至、夜明けの最も早いのは何処?

25日を過ぎたクリスマス・ケーキ…、それよりも前の話で、少々旬を逃しています。皆さんに説明出来るようになるまでには時間がかかってしまいました。12月22日は冬至、季節感に乏しい私でも、1年で一年で最も昼が短いということぐらいは知っていますが、それ以上のことは知りません。日本では「冬至にかぼちゃ、ゆず湯」と言われ、前者は緑黄色野菜の少ない冬場に保存が効き、何れも病気予防に効果があるとか、一方、古代ゲルマン民族には、この日を境に暗い夜の長かった日々が終わり、太陽が復活する日として冬至を祝う風習があり、後にこれがキリスト教と結びつき、クリスマスになりました。
南利幸

NHK天気予報、私は気象予報士の南利幸さんが好きで、私が大阪逆単身赴任中時代、ダジャレ好きの彼も大阪で近畿地方の担当、その小気味良いウイットに感心したのですが、その彼がいつの間にやら東京で全国予報を担当、先日は興味深い話をしていたのでご紹介します。

「日本列島、北(東)から南(西)へ、北海道→東京→九州、冬至、夜明けの最も早いのは何処でしょうか?」、という質問。多くの人が、私もそうですが…、最も東に位置する北海道が最も早いと信じていたのですが…、これは「✘(ペケ)」。国立天文台によると、冬至:12月22日の各地の夜明け時刻は東京:06:47、札幌:07:03、福岡:07:19、正解は東京でした。

地球は公転しています。地軸(北極点と南極点を結ぶ線)が公転面に対して23.4度傾いており、季節が生じます。冬は北半球が太陽と反対側を向いており、逆に、南半球は太陽に向かって夏を迎え、太陽が真上に来るのは、地軸の傾きと同じく南緯23.4度、実際は23.27度の、南回帰線上の真上にあり、彼の地は夏至です。地球は真の球体ではなく、自転により赤道地帯が膨張して楕円体となるため誤差が生じるそうです。
冬至_s

弓のように弧を描く日本列島において、東京が最も南回帰線上の真上にある太陽の光に最も早く当たる位置にあるのです。ご理解頂けたでしょうか?当初はこの図、自分で描こうと試して見たのですが、地球上における日本列島が小さすぎて、太陽光がまず東京に当たる、ということが表現できず、断念。この図に辿り着くのに手間取ってしまいました。※画像はアストロアーツより拝借しました。

朝の散歩、以前は自転車に乗っていましたが、冬になると徐々に時間が遅くなり、通勤・通学の時間帯と重なるようになり、皆さんに迷惑をかけることにもなり、寒さも手伝って、遂には断念、歩いて散歩するようになりました。夏が長くいつまでも暑い日が続いたのですが、秋は短く、一気に真冬の感があり、去年と全く同じです。違いはその寒さ、いつもは年が変わってからだったように思うのですが、今年は既に散歩の途中の池に氷が張っています。

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December 24, 2013

年賀状、気の利いたコメントは?

今年も余す所〜日、久しぶりに使うプリンターのインクがない…、上手くいかない…、年賀状作りに奮闘されておられることでしょう。その年賀状、来年の目標など、何か気の利いた手書きのコメントを入れます。「週に一度でも、家族みんなの食事を作ります」、こんなコメントを入れてみたいものです。

残念ながら商売も少なく、私の収入も減少、それ故?潰すべき時間の多くなったこと…。お金を使うことが出来れば、時間を潰すのは簡単なのですが、自由になる時間がいくら増えても、使うべきお金がないのですから、手足をもぎ取られたようなもの…、身動きが取れません。朝の散歩の帰りにコーヒー一杯百円を目当てに立ち寄るマック、スマホをいじったり、文庫本を読んだり、新聞を隅から隅まで読んだりしている、その種のお仲間の方々が多いのにはびっくりしてしまいます。お仲間と言っても、各人が何か一つの趣味で結びついている訳でもなく、思い思いに、昔は貴重だった朝のひと時を優雅に過ごされています。かく言う私も、ここで顔をよく見る人と病院で鉢合わせとなり「あっ!どうも…」、何が「どうも…」なのか判りませんが、それがきっかけで、今のテニスの仲間に入れてもらいました。

「亭主元気で留守がいい」とはよく言ったもので、奥さんの立場からすれば、主人は外で稼いでくるから主人としての意味があるのであり、その彼の稼ぎが悪くなり、ましてや一日中家でごろごろ、昼食まで用意しなければならないのであれば頭に来るでしょうね。現役で働いて収入を奥さんに渡していようが、引退して奥さんに渡す金額が少なくなろうが、腹は同じ、現役時代と同じように昼食は食べなければいけません。「昼食不要な日を、週に1〜2日、前もって奥さんに伝える」、奥さんは主人の留守の日に友達を家に呼ぶことが出来る、これが引退後の夫婦円満の秘訣、とは私の年の離れた姉の言。全くその通りとは思いながらも、未だ実行しておりません。

食事の用意を当番制でやっておられるご夫婦があるらしいのですが、こんなできるご主人を羨ましく思います。かと言って、一時ブームになった料理教室に通う気など私にはさらさらありません。ブームと言えば、料理の得意なKenさんは、今は大阪に暮らすのですが…、当時「そば打ち道場」で修行、延し棒・麺きり包丁まで用意するいわゆる「そば打ち名人」です。大晦日の午後、自分で打った蕎麦に、プロの味の海老天を添えて、近所の親しい人に配っておられました。その美味かったこと…。

友人との忘年会、冒頭に紹介した通り、彼の来年の目標は「週に一回でも家族皆の食事を作ること」。家族皆に喜んでもらえるのですから、それが出来れば、こんなに素晴らしいことはありません。誰もが自分の出来ないことをする人を「すごいなぁ」と思うのですが、私には料理の出来ることがそれに当たります。当面、私にはそんな大それた計画も、目標もなく、いま考えているのは、近くにある桜美林大学の学食で昼食、カレーライスかラーメン、午前・午後を図書館で勉強して1日を過ごす。どうでしょうか?桜美林老実館学食カレー

考えただけでなく、早速、実行してみました。桜美林の「桜カフェ」は冬休みで閉店、「老実館食堂」は教職員の為か、今日:クリスマス・イブも営業しており、私は350円のカレーを頂きました。ウ〜ン…、こんなもんでしょうか。上の写真がそれ。図書館での時間はあっという間に過ぎ、あまりにも簡単に実行出来てしまいました。これでは目標にはなりません。冬至の夕方はもう真っ暗、礼拝堂:荊冠堂はクリスマスのミサが行われるらしいのですが、異教徒の私は家路を急ぐことにします。
桜美林Xmas Eve
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December 17, 2013

音楽は楽しい

中学の時、音楽の先生が言った言葉が記憶に残っています。〜数学、物理学、歴史学、社会学、音楽…全てが<がく>ですが、<学ぶ>ではなく、<楽しい>という漢字を当てられているのは<音楽>だけ〜

多くの人がそうであるように、子供の時から、これといって秀でたもののなかった私です。6年前にNobuさんに誘われて30年ぶりに再開したギター、今では4人のバンドに成長、ライブ出演の依頼が来るようになりました。芸事、習い事の発表会の衣装代や会場費は生徒さん負担で、素人バンドの場合も同じく、会場費を出演バンド数で割り、それをバンド構成員で割って、一人あたりの負担金を決めるそうで、大きなホールなどでは、1人当たり1万〜1万5千円とゴルフ並の負担になるそうですが、それでもステージに立って演奏するのは楽しい、とは聞いた話です。そこまでして…、私には…。

世の中に音楽が好きな人は幾つになってもおられます。しかし、音楽の好みが同じ、あるいは似ている人を探すのは至難の技です。先日来日したポール・マッカートニーや数年前のサイモン&ガーファンクル、高校時代はあれほどまでにラジオを聞きレコードを買い、それに続くエレキ・ブーム、フォーク・ブームにうつつを抜かした我々の世代もその後は全くの沙汰止み状態、あるいは、「洋楽かぶれ」を懺悔(?)してカラオケ演歌に転向する者もいれば、深く地下に潜行してそのまま朽ち果てようとする隠れ「洋楽かぶれ」もいるでしょう。この歳になって彼等が来日すると、やおら地上に這い出て、我に返ったように大感激です。彼等は新曲を紹介したいのですが、高いお金を払ってコンサートに行く我々がそれを許すはずがありません。舟木一夫と言えば、詰め襟の学生服で『高校3年生』…と同じく、『Yesterday』『Sound Of Silence』を観客全員で歌い、曲に感情移入して過ぎ去りし、ズーッと昔の、青春時代に戻るのです。後でトイレの鏡に出会う顔を見て愕然としますが…。

エレキ・ブームと言えば、ザ・ベンチャーズ、毎年夏になると来日するそうですが、彼等の最大の功績は、音楽というものを聞く音楽から、自ら演奏する音楽に変えたということです。それまでは、音楽というものはプロの演奏者が居て、お金を払って聞いたり、そのレコードを買ったりするものでした。別に私が革命を起こしたわけではありませんが、私の属する世代が始めて「自ら演奏する音楽」をやるようになり、それ以前の世代で楽器を演奏する人はよほどの遊び人だったのです。加えて、「カラオケ」の発達・進歩はこの世から音痴を無くし、プロの演奏家の仕事場を奪ったのです。さらに加えて、私の如き「洋楽かぶれ」は、昔ならば「平凡パンチ」などの付録に付いていたりソング・ブックを買ったりしたのですが、今やインターネットで歌詞・ギターコード、サイトを探すとバック・コーラスをどう入れるのかも判ってしまいます。大事な点は、それもこれもタダ…。

思い起こせば、中学生の時、家にあったギターで最初に弾いたのが加山雄三の『君といつまでも』でした。あれから何十年、ギターの再開に誘ってくれたNobuさんに感謝です。最近、そのことを上の姉に話すと、「あなたが中学生の頃のあのギターは私が買ったものよ」との仰せ、当時、お嫁に持っていくほどのレベルには到達していなかったようです。チャンスを作ってくれた姉にも、ついでに感謝。

そんな我々のバンドが、昔の名前ではありませんが…、”NASHVILLE 5”(実は「4」なのですが…)と云う名前で出ています。12月22日(日)、"STUDIO ONE(埼玉県東松山市山崎町2-15)”でのライブ・コンサートに出演します。もし、お近くにお住いで、私どもの音楽を聞いてみたいと思われる方がおられましたら、是非お越し下さい。
studio_1_live_poster


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December 11, 2013

「走水神社」を横目に、三浦半島バイク・ツアー

かねてからのバイク・ラン計画を実行すべく、11月末、自転車を車の後ろに積んで友人の住む横須賀を訪ねました。二十五年前、関西に育った私の家族は関東…、といっても最初に住んだのは千葉県流山市、に引っ越してきました。何かと関西とは事情が違い、東京銀座の本社勤務まではいいのですが、大阪の友人曰く、「なんで、東京を通り越して、近藤勇の捕まった流山まで行くの?」 右も左もわからない時に、お世話になったのがこの友人ご夫婦でした。長女が奥さんを痛く好きになり、高校・大学と、奥さんと全く同じ進路を行った経緯があります。

老人二人予定よりかなり遅れて友人宅を出発出発、住宅地の坂を下ると、そこは横須賀海岸通、名前の通り東京湾浦賀水道、冬にしては日差しがあるが風はなく、絶好のバイク・ラン日和、遠く左から右に、横浜、川崎、東京そして浦安、船橋、千葉に始まる房総半島を横に見て走ります。出発早々、山側に「走水神社」の看板が視界の隅に入ったのです。「えっ!あの走水神社」、前走水神社標識_Steet Viewを走る友人はそれに気を取られることもなく、快適に走り過ぎて行きます。今回は、前を行く友人の案内でもあり、「走水神社」に寄り道することもなく、三浦半島ツアーを続けることになります。

神話か否かはともかく、国家体制が出来上がるはるか以前、古事記によると110年、ヤマトタケルは九州の熊襲(クマソ)、吉備、瀬戸内を平定する。次に東征を命じられ、伊勢にて草薙剣 と袋を授かり、危急のとき袋の口を開けと教えられる。駿河国で火攻めに遭うが、草薙剣で草を掃い、袋の中の火打ち石で迎え火を点け、逆に敵を焼き尽くした。地名:焼津の由来という。足柄峠を越えて相模湾に沿って東進、鎌倉から三浦半島を横切って走水に出ます。そこから浦賀水道を横切り、房総半島へ渡ろうとしますが、暴風雨に遭い、同行していた妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)が人身御供となってその難を救ったと伝えられ、二人を祀ったのが「走水神社」です。房総半島を北上、現在の関東地方を反時計回りに(茨城→栃木→群馬)進み、碓氷峠を越えて大和を目指します。碓氷峠(群馬県吾妻郡嬬恋村)に立ち、はるか眼下に広がる関東平野を見晴らし、この東征中で亡くした妻:弟橘媛を偲んで「吾妻はや」(吾が妻恋し)と嘆き叫んだという故事に因んで、関東を「あずま=東」と呼ぶようになったそうです。

「五畿七道」の一つ東海道は、当初、このヤマトタケル東征のルートを辿り、西国・九州諸国では畿内からの遠近を、「前・後(例えば、肥前・肥後)」で現しましたが、関東においては「上・下(例えば、上野・下野)」で現しました。坂東(≒関東≒あずま=東)とは、東山道碓氷峠(上野 こうづけ)及び東海道足柄山(相模)以東、反時計回りに、相模・安房・上総・下総・常陸・下野・上野・の7カ国でしたが、武蔵国はこのルートから外れ、碓氷峠回りの東山道に属していました。771年、武蔵国は東海道に変更となり、相模国中部を北上し、そのまま武蔵国に入り、東京湾に沿って現在の千葉県市川市の下総国府に至り、更に常陸国へと向かうルートになった。当初のルートでは都(畿内)に近かった安房・上総はこのルート変更により遠くなったことになります。※因みに、後の平安時代中頃(1030年)、このルートを上総国府(現在の千葉県市原市)を旅立ち京へ向かう様子が「更級日記」に描かれています。
関東地図

坂東(≒関東)は、元来、碓氷・足柄(箱根)と続く山塊が畿内政権の侵攻・浸透を拒み、半独立的な地位を持つ地域でした。坂東(≒関東)のさらなる奥に存在する東北(陸奥・出羽)は畿内・ヤマト政権に未だ服属しない「化外の地」、8〜9世紀、同じく辺境と見なされていた坂東(≒関東)は対蝦夷戦の人的・物的な兵站基地でした。坂東では帰順した蝦夷の反乱が各地で起こり、次第にヤマト政権の求心性が衰えます。一方、西国では、白村江での敗北以降、唐の来攻に備え、新羅の海賊が日本各地を襲う事象が多発、これには坂東で調達した人「防人」をはるか九州に送ることになります。次第に力を蓄えてきた坂東の力を削ぐためのものでした。

平安時代、農業土木が発達、鉄製の鋤・鍬が安くなり、一般庶民=農民個人でも使用できるようになり、都では紫式部、清少納言の世界でしたが、坂東では開墾農場主が現れ、「ここは俺が開いたのだから、俺の土地だ」という強烈なリアリズムを生み、「名こそ惜しけれ」の武士が誕生します。坂東(≒関東)にこのリアリズムと「名こそ惜しけれ」の武士が誕生し、鎌倉時代の芸術・宗教に果たした坂東の役割は大きい(※ 司馬遼太郎の言)。「文を尚び武を卑しんだ」中国、その儒教(朱子学)を国教とした李氏朝鮮とは全く異なる歴史はこの坂東(≒関東)に始まります。

そんなことを考えながら…、ウソです。観音崎久里浜ペリー公園、半島の360°視界を見晴らせる広大な大根畑を過ぎて城ヶ島に渡ります。復路は別ルートを考えていたのですが、ここでそろそろ日も傾き、安全のために今きた道とほとんど同じルートで出発地の友人宅を目指します。友人宅に到着したのは日没後、アップダウンのきつい往復50舛任靴拭

ご夫婦は長くアメリカに住み、永住するのか…とも思ったりしましたが、1年前に帰国、今は横須賀に住んでいます。食事をごちそうになり、二十五年ぶりにお会いした奥さんを交えて楽しい時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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