September 2013

September 26, 2013

Is This Kawaii(かわいい)?

それが理由で行かなくなったのではありませんが、『冬のソナタ』で巻き起こった韓流ブームで、TSUTAYAの売り場、いや…、貸し場面積の大きな部分が韓流ドラマのビデオで埋め尽くされた感がありました。この韓流ブームに同期するように、サムソンはテレビとスマホの分野で世界の王座を獲得、パナソニックは稼働を始めたばかりのプラズマディスプレーの工場を閉鎖し、今日に及んでスマホからも…、遠くない将来、おそらくはカーナビからも撤退でしょうが(?)、今や単なる家電メーカーです。シャープも瀕死の重傷、単なる液晶ディスプレーメーカーになってしまうのでしょうか?かつては、あのWALKMANを世に出したSONYも、iPad・iPhoneのAppleのような革新技術を世に出すこともできず、日本メーカー総崩れの感があります。
iPhone 5_2
騒がれていた電力逼迫も殆ど聞かれずに夏が終わってしまいました。当初、「クール・ジャパン」とは エアコンの高めの設定に対応したノーネクタイ、ボタンホールのかがりの糸が派手な赤・青・黄色、妙に襟の大きな半袖シャツ、ステテコなどの「省エネ」衣料か…、と思っていました。ついでに…、わざわざそんなものを買う以前に、こんなクソ暑い中に猫も杓子もストールなるものを首に巻いているのが全く理解不能でした。

2002年、アメリカ人ダグラス・マクグレイはアニメ、ゲーム、マンガ、Jポップなどのソフトパワーを結集して「Japan's Gross National Cool 国民総クール(かっこいい)」をはかるべき、と予測したそうで、「クソ暑い日本の夏をクールに(涼しく)」という意味ではありませんでした。

この提言(?)を受け、あるいは…韓国の二番煎じか…、日本政府も「Cool JAPAN」を掲げ、アニメ、ゲーム、マンガ、映画、音楽等のコンテンツ産業、日本独自のブランド価値創造に関連する産業を「ソフトパワー産業」として海外に売りだして行こうというものです。敗戦を境に怒涛のごとく押し寄せてきたアメリカ文化、というよりはアメリカ文明、私などは「アメリカかぶれ」と言われるほどその文明に浸ったわけですが…、戦後の冷戦下、単なる軍事・外交だけではなく、アメリカは自国の持つ「ソフト・パワー」を持って対日占領政策を行ったのでしょう。相対的にその力は減衰されたものの、今なおアメリカの「ソフト・パワー」は強力だと言えるでしょう。

Harajuku Fashion Walk In Paris「Cool JAPAN」は大いに賛成なのですが…、それを代表するものが「カワイイ かわいい Kawaii」らしく、具体的には、日本のポップカルチャーのアイコンとも言われている歌手:「きゃりーぱみゅぱみゅ」…???、と来たら全くついていけません。つい先日、パリで「Tokyo Crazy Kawaii Paris」と銘打ったイベントが日本政府主催で行われ、高額な入場料にも関わらず多くのフランス人のオタクが詰めかけたとか…。全日空(ANA)も「Is Japan Cool?」のキャンペーン:「Kawaii」、と負けていません。

ある女性週刊誌がその読者、20〜50代の既婚女性に行ったアンケートしたところ、40代既婚女性の91%が「<かわいい>と言われるとうれしい」、と答えそうです。1967年、二輪車メーカーのホンダが軽四輪:N360を発売、それまでSUBARU 360を始めとする他メーカー高々20PS台前半の2ストローク・エンジンであったのに、高出力で前輪駆動横置き4ストロークであっという間に抜き去り、一躍軽四輪市場首位に踊り出たのです。「Poor Man's Mini Cooper」と呼ばれたこの車、当時、若者のあこがれでした。最近、好調の軽四輪業界で出遅れているホンダ、マーケティングの常識:「消費財の8割は女性が購買決定権を持っている」を地で行くように、何歳になっても「かわいい」好きの女性の意見を大幅に取り入れて完成したN-One、(私が)見た目には、デザイン的には今流行りの「かわいい」かも知れませんが、VW Beatle、BMW Miniの持つ大人の魅力には遠く及びません。もちろん、かつてのN360のデビューのように心踊るような感激を求めるには時代が違いすぎますが…。
Honda N One
古くは「キティちゃん」、「ピカチュー」、「ポケモン」、近くは「ひこにゃん」・「くまもん」に始まる全国「ゆるキャラ」、「きゃりーぱみゅぱみゅ」の「ぱみゅぱみゅ」とは正に幼児語、ただ単に幼稚なだけ、トウが立った幼児なんでしょうか?典型的な例が、家電量販店にならぶクズみたいな固定電話器のデザイン、あれこそ、女性好みの「かわいい」デザインなのでしょう。キリっとした大人のデザインは出来ないのでしょうかね。

「5つの肉体的感覚によって得られた知識が良識と呼ばれる精神的感覚の知恵と融合しつつあるとき - そのような時期のある日 - 少年は目覚めにも似たある発見をする。彼は自我を意識する。」 「警告も準備もなく少年は突然、存在 - 彼自身という存在の前に引き出され畏怖の念に打たれる。」「彼等は自意識が自然の甘美な単純さを損なう以前の幼稚な成長段階に留まったままである。」とは、『The Seoul Of The Far East 極東の魂 』、パーシヴァル・ローエル(1855-1916)の言葉。

他人様に言える立場ではありませんが…、出来れば、もう少し「大人」になってほしいものです。その後、彼女たちが熱烈に支持していた、あの韓流ブームはどこへ行ったのでしょうね。
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September 15, 2013

散歩の途中<5> 箭幹八幡宮 奥宮開扉大祭

「乱」は政府・現政権に対する反乱、これに近い言葉に「変」がありますが、不意打ち的な武力行使を伴う政治的な陰謀・政変です、…必ずしも武力衝突を伴うとは限りませんが。「乱」、「変」ともに国内での戦争・紛争であるのに対して、「役」は他国・外国との戦争、例えば「文永・弘安の役(1274・1281)」あるいは「文禄・慶長の役(1592〜96・1597〜98)」など、対外戦争を意味すると学んだ記憶があります。

陸奥国の有力豪族:安倍氏は、朝廷への貢租を拒み、半独立的な勢力を形成していました。国司追討軍との間に始まった戦いが「前九年の役(1051〜62)」で、当初は陸奥守として赴任した源頼義とその嫡男:義家を圧倒したが、1062年、俘囚清原氏が参戦するに至り形勢が逆転、安倍氏は滅亡しました。ここで対外戦争を意味する「役」を使ったのは、畿内の朝廷が、安倍氏が支配した陸奥国及び安倍氏自体を「東夷」、「異国の蛮族」と見なしていたからにほかなりません。これから遡ること約3百年、朝廷軍を率いて日本海側を北上、蝦夷を討伐した阿倍比羅夫(あべのひらふ)が安倍氏の先祖であるにもかかわらず…。

続く「後三年の役(1083)」から、陸奥国平泉、藤原三代の時代につながって行きます。源頼義・義家父子が、関東の武士と「前九年の役」・「後三年の役」を共に戦い、信望を集めて地盤を固め、後の源氏による鎌倉幕府創建の礎となります。

その源義家(1039〜1106)、「八幡太郎義家」と尊称される、源氏の祖の一人です。「太郎」は源氏を継ぐ嫡男=棟梁の意味、石清水八幡宮(京都府)で元服し、「八幡神」を守護神とする源氏の棟梁の意味で、「天下第一武勇之士」と称されました。戦国時代の旗指し物でよく見られる『(南無)八幡大菩薩』の通り、その後清和源氏を名乗る足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏などが守護神として、武神・弓矢の神・必勝の神とされるようになった。※ 因みに、「八幡製鉄」は、日清戦争勝利後の1901年に、富国強兵を国策として日本初の近代製鉄所として誕生しましたが。鍛冶・鉄の神から始まり、武神・弓矢の神・必勝の神となった「八幡」が、帝国主義の時代、列強に「追いつけ・追い越せ」という強い意志を込めて名づけたものと聞いたことがありますが…、いかがでしょうか。
矢幹八幡参道
160608_矢幹八幡

義家は陸奥国の安倍氏を平らげ帰国する途中、武蔵国木曽の村で病に倒れたが、夢に老翁が現れ悪鬼を射倒すを見て病は快癒、そのお礼に建立したのがこの八幡様。屋根に矢を刺すと矢竹が繁茂、その竹で矢を作る村、矢部という地名(JR横浜線矢部駅)、そこから出た一族の名前=矢部氏となったそうです。
箭幹八幡 奥州古道 
義家が武蔵国木曽の村に立ち寄ったのは、「後三年の役(1083)」の後、鎌倉幕府創建(1192)の30年も前の話です。未だ鎌倉街道も整備されてはおらず、今で言う「奥州古道」がこの「箭幹八幡宮(矢部八幡)」を通っていました。「奥州古道」、しばらく境川沿いに南下して渡河、当麻(現在の相模原市)から相模川を渡って厚木、相模国を大山・丹沢山の南側を西進して足柄峠に至る、陸奥国と東海道を結ぶ最短の街道でした。
※ 横浜国道事務所 「東海道への誘い」より拝借しました。
箭幹八幡宮 奥州古道_2

台風接近の影響か…あいにくの雨でしたが、2013年9月14〜15日は、「箭幹(やがら)八幡宮(矢部八幡)」で、なんと33年ぶりに『奥宮開扉大祭』が開催されています。昨日、訪問したのですが、大勢の人出、御祭神:応神天皇の御霊は見ることができませんでした。

散歩で訪れた「箭幹八幡宮(矢部八幡)」、何の脈絡もなく…、思いつくままに書いてしまいました。

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September 07, 2013

散歩の途中<4>  三多摩、昔は神奈川県

多摩地区とは、東京23区より西側の地域で、「東京都下」あるいは、「三多摩」とも呼ばれるそうです。どこか愛嬌のある「さんたま」の響きです。1871年の廃藩置県で三多摩地域の大半は神奈川県に所属することになりましたが、それから22年後、1893年、その三多摩が東京府に編入されることになりました。
とんぼ池20130905

小山田荘を散歩中に知り合ったお年寄りから昔話を聞いたことがあります。話はこうです。東京の上水道を担ってきたのが玉川上水。明治の初めにコレラが大流行、その水源である「多摩川上流でコレラ菌による汚染」とのうわさが広まり、当時、多摩川の上流は神奈川県に属していたが、東京府が水源を直接管理するために編入した、というものです。水源とは全く無関係な南多摩郡(現在の町田市、八王子市、多摩市、稲城市、日野市)も、北・西多摩とともに、東京府に編入されたのでした。

江戸時代、この地域には鶴見川の源流があり、幕府の天領だったこともあり、裕福な稲作農家が多く、明治初年この地で最初に敷設された鉄道:現在のJR横浜線が計画された当初は町田市側を通る計画でしたが、彼等の反対により変更され、実際の線路は相模原側に敷設されることになった、という。彼が言うように、この地域の農家は裕福で、前回も触れた通り、新撰組(近藤勇・土方歳三など)を育んだ風土、明治になると、方向を変え…?、自由党を設立した板垣退助が「多摩は自由党の砦」と表現するほどに、自由民権運動が盛んとなりました。南多摩郡の東京府への編入は、どうやら神奈川県内の自由党の勢力を削ぐためのものだったようです。

どうも、明治以前、小山田荘にも近い、小野路と呼ばれる地域が町田の中心であったようで、古くは平安時代以前から、そして鎌倉街道の宿場街として栄え、徳川の治世では天領の裕福な農家、幕末には新撰組を育み、明治になると、どうしたことか…自由民権運動の地に変わります。一方では、かつての中心地:小野路を遠く離れた相模原側に国鉄(現在のJR)横浜線が敷設され、稲作に適さず、桑畑に蚕、絹の産地と開港された横浜を結ぶ「絹の道」として結ばれ、その沿線は発展していきます。次に小田急本線が開通すると、町田の中心は両駅のある現在の中心地域に移動してしまいました。皮肉な見方をすれば、明治以降の近代、小野路の勢力の及ぶ地域に鉄道が敷設されるのを嫌い、あるいは避けて来たようにも思えます。白洲次郎 正子夫妻が戦況の悪化を予測して、1942年、当時の東京府南多摩郡鶴川村(現在の東京都町田市能ヶ谷)に農家を購入して疎開生活を始めたことでもその田舎ぶりが想像できるでしょう。後の「武相荘」、その小野路からそう遠くはありません。
武相荘
戦後の高度成長期、北側に隣接する多摩市は、大阪の千里丘陵と同じく、当時、国家プロジェクトとして造られた人工の街、整然と区画整理された近代的な街並みがきれいです。その多摩市開発に際して作られたハイキング道が「横山の道」、古くは唐の侵攻に備えた防人制度か、はたまた東国の力を削ぐ目的か、多くの男達がこの道を越えて西国に向かった奥州古道、「いざ鎌倉」の鎌倉街道が交差し、新田義貞の軍がこれを越えて南下、鎌倉を目指しました。

「横山の道」を南に超えるとまるでタイムスリップ、江戸時代の風景、場合によっては鎌倉時代の風景さえも目に入って来たような錯覚に陥ります。道を境にした北側と南側、対比は面白く、映画:『ビレッジ The Village (2004 )』を思わせます。南側は私の住む小山田(小山田荘及び小野路の在る地域)、今やいくつかの里山を残す昔ながらの山村、言い換えれば、どこかピントがずれた…失礼、開発からは取り残された地域…、だからこそ、今となっては良かったということになるのでしょう。

南多摩、小山田のほんの一部が私の散歩道です。
花の家裏20130831
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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