September 15, 2013

September 15, 2013

散歩の途中<5> 箭幹八幡宮 奥宮開扉大祭

「乱」は政府・現政権に対する反乱、これに近い言葉に「変」がありますが、不意打ち的な武力行使を伴う政治的な陰謀・政変です、…必ずしも武力衝突を伴うとは限りませんが。「乱」、「変」ともに国内での戦争・紛争であるのに対して、「役」は他国・外国との戦争、例えば「文永・弘安の役(1274・1281)」あるいは「文禄・慶長の役(1592〜96・1597〜98)」など、対外戦争を意味すると学んだ記憶があります。

陸奥国の有力豪族:安倍氏は、朝廷への貢租を拒み、半独立的な勢力を形成していました。国司追討軍との間に始まった戦いが「前九年の役(1051〜62)」で、当初は陸奥守として赴任した源頼義とその嫡男:義家を圧倒したが、1062年、俘囚清原氏が参戦するに至り形勢が逆転、安倍氏は滅亡しました。ここで対外戦争を意味する「役」を使ったのは、畿内の朝廷が、安倍氏が支配した陸奥国及び安倍氏自体を「東夷」、「異国の蛮族」と見なしていたからにほかなりません。これから遡ること約3百年、朝廷軍を率いて日本海側を北上、蝦夷を討伐した阿倍比羅夫(あべのひらふ)が安倍氏の先祖であるにもかかわらず…。

続く「後三年の役(1083)」から、陸奥国平泉、藤原三代の時代につながって行きます。源頼義・義家父子が、関東の武士と「前九年の役」・「後三年の役」を共に戦い、信望を集めて地盤を固め、後の源氏による鎌倉幕府創建の礎となります。

その源義家(1039〜1106)、「八幡太郎義家」と尊称される、源氏の祖の一人です。「太郎」は源氏を継ぐ嫡男=棟梁の意味、石清水八幡宮(京都府)で元服し、「八幡神」を守護神とする源氏の棟梁の意味で、「天下第一武勇之士」と称されました。戦国時代の旗指し物でよく見られる『(南無)八幡大菩薩』の通り、その後清和源氏を名乗る足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏などが守護神として、武神・弓矢の神・必勝の神とされるようになった。※ 因みに、「八幡製鉄」は、日清戦争勝利後の1901年に、富国強兵を国策として日本初の近代製鉄所として誕生しましたが。鍛冶・鉄の神から始まり、武神・弓矢の神・必勝の神となった「八幡」が、帝国主義の時代、列強に「追いつけ・追い越せ」という強い意志を込めて名づけたものと聞いたことがありますが…、いかがでしょうか。
矢幹八幡参道
160608_矢幹八幡

義家は陸奥国の安倍氏を平らげ帰国する途中、武蔵国木曽の村で病に倒れたが、夢に老翁が現れ悪鬼を射倒すを見て病は快癒、そのお礼に建立したのがこの八幡様。屋根に矢を刺すと矢竹が繁茂、その竹で矢を作る村、矢部という地名(JR横浜線矢部駅)、そこから出た一族の名前=矢部氏となったそうです。
箭幹八幡 奥州古道 
義家が武蔵国木曽の村に立ち寄ったのは、「後三年の役(1083)」の後、鎌倉幕府創建(1192)の30年も前の話です。未だ鎌倉街道も整備されてはおらず、今で言う「奥州古道」がこの「箭幹八幡宮(矢部八幡)」を通っていました。「奥州古道」、しばらく境川沿いに南下して渡河、当麻(現在の相模原市)から相模川を渡って厚木、相模国を大山・丹沢山の南側を西進して足柄峠に至る、陸奥国と東海道を結ぶ最短の街道でした。
※ 横浜国道事務所 「東海道への誘い」より拝借しました。
箭幹八幡宮 奥州古道_2

台風接近の影響か…あいにくの雨でしたが、2013年9月14〜15日は、「箭幹(やがら)八幡宮(矢部八幡)」で、なんと33年ぶりに『奥宮開扉大祭』が開催されています。昨日、訪問したのですが、大勢の人出、御祭神:応神天皇の御霊は見ることができませんでした。

散歩で訪れた「箭幹八幡宮(矢部八幡)」、何の脈絡もなく…、思いつくままに書いてしまいました。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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