March 2013

March 25, 2013

Twilight Zone 〜 The Invader

"Twilight Zone"、日本では『ミステリー・ゾーン』の名で1961年から1967年まで放映されたアメリカのSF TVドラマシリーズ。 当時、私は中学生か高校生?…、毎週、この番組を見るのが楽しみで、わずか30分の番組でしたが、今思えば、『猿の惑星』、『夢千代日記』、『エトロフ遥かなり』と並んで…、"The Invaders(「遠来の客」)"は傑作、この歳になってもその時に受けた印象は強烈です。
The invader_Initial Scean

特に冒頭のシーン。荒涼として、打ち捨てられた土地。そこに建つ、電気もガスもない…、一切の発展から取り残された農家、一軒家が闇に浮かび上がっています。

老婆が念入りに指先でキッチンナイフの切れ味を確かめ、野菜を刻んで大釜に投げ込み、夕食のシチューを作っています。

突然、小さな円盤が屋根に落下、その音・衝撃の凄さに老婆は慄き、悲鳴を上げてしまいます。彼女がその物体の正体を確かめようと…、おそるおそるランプをかざすと、円盤の中からおもちゃのような小さな異星人が二人現れ、やがて、彼女に対する攻撃を始めます。ナイフの切れ味を確かめたのが惨劇の序章でした。老婆と異星人との戦いは、床下から天井まで、部屋から部屋へと舞台を移しながら絶望的に続きますThe invader_11。異星人は老婆のナイフを盗んで彼女の脚・腕を切り、光線銃を発射して彼女の皮膚は一瞬のうちにミミズ腫れ、その度に彼女は大きなうめき声・悲鳴を上げることになります。

時間が経過、老婆は異星人の攻撃を巧みにかわして反撃、グレシャムという名の一人の異星人を殺害することに成功します。生き残ったもう一人の異星人は円盤に退避、彼等が旅立った自分の故郷の惑星に最後の通信を試みます。

「コントロール・センター、応答せよ! コントロール・センター、応答せよ!本船は破壊された。グレシャムは死んだ!繰り返す!グレシャムは死んだ!この惑星には信じられない巨人が生息している!反撃は不可能!圧倒的に強力だ!近寄るな!」 …これが、物語全般を通して初めて、そして、唯一発せられた「言葉(=英語)」でした。

ついに、老婆は円盤を破壊して最後の通信を行った彼をも殺害したのです。

…カメラはパンして円盤の機体に書かれた文字を捉えます。
「US AIRFORCE SPACE PROBE No.1(アメリカ合衆国空軍 宇宙探査機第1号)」
 


※因みに、老婆役のアグネス・ムーアヘッド (Agnes Moorehead)、この物語でのセリフはうめき声と悲鳴だけでしたが、『奥さまは魔女』(1964〜1972)ではよくしゃべるお母さんを演じています。

※Youtubeでは2分弱しか見られませんが、New Coffee Dot Comで『The Invader』全編を見ることが出来ます。是非、御覧ください。

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March 13, 2013

あれから2年

生まれは九州、次は本州を通り越して、北海道の紋別、そして四国愛媛県の新居浜で小学校入学、以降、学生時代・成人して就職・結婚を大阪で、シドニーを経て、東京に、…といっても都下、西の端:町田に辿り着きました。今やそんな心配をすることは全くなくなったのですが…、有名人になってインタヴューを受け、「ご出身は…?」、と聞かれた場合、どう答えたらいいのだろうか…、と悩んだことがありました。九州は生まれただけで記憶にもなく、かと言って、北海道、四国でもなく、強いていうならば、大阪でしょうか…。ただただ、仕事が理由で、縁もゆかりもない、町田に住んで25年、「住めば都」になりました。
 
福島県双葉町ゲート

「3.11」が巡って来ました。あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。未だ放射能漏れ収拾の付かない福島第一原発周辺の住民:8万5千人が強制的に避難させられ、自主的かどうかは別に、5万7千人が県外にて避難生活を強いられています。テレビを見る限り、中年以上と見受けられる方々が故郷に「帰りたい」意識が強いようです。残酷な言い方をお許し願いたいのですが、「帰れない」と思っている人も多いのではないでしょうか。子供を持つ若い両親の家族であるならば「帰りたい」、けど「帰らない、戻らない」というのが本心ではないでしょうか。よしんば、彼等若い世代に「帰りたい」という強い気持ちがあったとしても、そこに彼等の働く仕事がなければ、実現は無理でしょう。仕事がない、若者がいない故郷に帰って彼等:中年以上の人たちはどうやって生きていくのでしょうか。彼等は老いていきます。放射能汚染で、今まで漠とは予測されていた老人社会の到来が予測よりも早く現実になるということではないでしょうか。

こうして始まった「ふるさとに戻るための除染作業」、福島県楢葉町でのそれはあまりにも気の遠くなるような作業です。先ず、屋根瓦に始まる15箇所の空間放射線量の測定、屋根瓦:約3,200枚を水で濡らした紙タオルで一枚一枚拭き取り、拭き取ったそのタオルは廃棄してビニール袋に、雨樋を高圧洗浄、その汚染水は同じくビニール袋に入れて回収、庭は雑草を刈り取り、表土を3cmまで掘り下げ、その土を回収、新しい土を入れる。開始当初、毎時:0.38mSvであった一軒の線量は、5人の作業員が12日間を費やして約90%が終了、毎時:0.23mSvに減少したそうです。毎時:0.23mSv×(8時間+0.4×16時間)×365日=年間:1,208mSv。 作業員の日当:1万円として、1万円 X 5人 X 12日、 一軒につき 60万円の除染費用。該当軒数がどのぐらいあるのかは判りませんが、政府の予算は2011〜2013年度(3カ年)で1兆696億円、森林の除染は人間の利用する場所からわずか20mまで、これに仮置き場所、中間貯蔵施設、最終処分費まで加えたら…、あまりにも気の遠くなるような話で、計算する気にもなりません。

巨額の公共事業:除染作業、ゼネコンへの丸投げに始まって、暴力団の関与とピンハネです。どこか「シジフォスの岩」に似て、いくら努力しても達成感のない作業に現場作業員の士気が上がるはずがありません。

巨額の費用をかけて果たした故郷への帰還、他の地域よりも早くやってくる老人社会、国・福島県・市町村にその備えがあるのでしょうか?残念ながら、彼等を支えるはずの若い世代が故郷へ帰るとは思われません。「除染にはお金がかかる。新しい土地で新しい生活を始める資金として渡して欲しい」、というのが若い世代の思いではないでしょうか。

チェルノブイリ事故の時は、ベラルーシで33万人、ウクライナで16万人以上が移住したと報告されています。放射能の影響を受けやすい幼い子供のある家族、避難先で仕事を見つけた人は、帰還を断念して、そこを第二の故郷にすべきではないか。故郷へ帰れないのであれば、それを償うのは…、次善の解決法としては「お金」しかないのではないでしょうか。あれから2年が過ぎました。「住めば都」を実感する私の意見です。

※ Amazon:シジフォスの神話

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March 06, 2013

もしや…、いかなごの釘煮?

頭の片隅では「今年はどうだろうか…、やはり、無理か…」と思いつつも、もちろん、こちらから催促するわけにもいかず…、悶々とする(?)毎日でしたが、今日、玄関のチャイムにはずむカミさんの声。「もしや…、ひょっとして…」と彼女の反応を待つと、やっぱりその「もしや」、夫婦で大喜びです。

※彼からの春の便り。いかにも美味しそうです。
田中さん手紙130306_s












今年もKenさんから、大阪あるいは関西の…、春の風物詩:「いかなごの釘煮」を送って頂きました。解禁になったばかりのいかなごを、彼自らの手で佃煮に料理してくれたものです。「東日本大震災」からまもなく1年を迎えようとした、去年の今頃、その美味しさに夫婦で感激したものです。
いかなごの釘煮_2


















「いかなごの釘煮」とは、いかなごという魚の稚魚を佃煮にしたもので、大阪・関西と言うよりも、阪神間及び明石の漁師料理が原型で、2月の後半になると瀬戸内海でいかなご漁が解禁となり、各家庭では春を告げる味としてその佃煮:「いかなごの釘煮」が一斉に作られるそうです。私は九州生まれながら、言うところの阪神間に在る伊丹で育ったのですが、「いかなごの釘煮」という言葉を聞いたことも、もちろん、食べたこともありませんでした。後で聞くと、大阪生まれのKenさんもつい最近まで知らなかったそうです。阪神大震災(1995年)復興に参加されたボランティアへのお礼として全国に届けられ、以降、日本中に知られるようになったそうです。

「いかなごの釘煮」は佃煮です。佃煮の起源は、以前にも記事にしたことがありますが、戦国末期、現在の大阪市西淀川区に位置する、摂津国佃(つくだ)村にあると言われています。平清盛に始まる武家の時代、続いて源頼朝が征夷大将軍となって鎌倉幕府を開き、三代で平氏の北条執権政治に取って代わられ、源氏の足利氏が征夷大将軍となって室町幕府を開きます。この武家政治の変遷を踏まえてか…、戦国時代には、源平政権交代説というのがあり、信長・秀吉はいずれも平氏を名乗り右大臣・関白、幕府は開きませんでした。

源氏を名乗った徳川家康は征夷大将軍の地位につき江戸幕府を開きます。祖先への感謝のために…、かどうかは知りませんが、猪名川の河口、摂津国佃村の漁師に舟を引かせて猪名川を遡上、清和源氏発祥の地:「多田神社」を参詣します。後に江戸に幕府を開くと、その労に報いて、彼らの江戸進出を許します。後に佃煮で有名になる佃島の始まりでした。

食事が楽しみです。
Kenさん、ありがとうございました。

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March 02, 2013

ラテン・セイル 三角帆

オロシヤ国酔夢譚1782年、船頭頭:大黒屋光太夫以下船員15名及び紀州藩派遣の農民1名を乗せた千石船(弁才船):『神昌丸』(全長:20m)は紀州の囲米を積荷に、伊勢国白子の浦から江戸へ向かいますが、駿河沖で暴風に遭い、7ヶ月もの漂流の後、アリューシャン列島の一つ、アムチトカ島へ漂着します。その後カムチャツカ、オホーツク、ヤクーツクを経由して1789年イルクーツクに至ります。日本に興味を寄せる博物学者キリル・ラクスマンと出会い、1791年、彼に連れられてシベリア大陸を横断、ロシアの首都:サンクトペテルブルクに至り、女帝:エカテリーナ2世に謁見、帰国を許されます。漂流から約10年を経た1792年 (寛政4年9月)、遣日使節:アダム・ラクスマン一行の船:『エカテリーナ』(42人 全長:33m)に乗り、根室の地に生還できたのは光太夫を含めて3人でした(上陸後に1人死亡)。

7世紀、アラブ人のラテン・セイル(三角帆)を始めとする造船・操船・航海技術は地中海を席捲、逆に西欧人は地中海の主導権を放棄、アラブ人の航海技術を学んで、「ヘラクレスの柱」の西、大西洋に乗り出したのが15世紀末、16〜17世紀には西欧の船は西太平洋、東アジアへも進出、18世紀になると鎖国下の日本近海でも見受けられるようになります。

洋船断面図-竜骨
和船断面図-桶





※上のイラスト、大阪港振興協会:『帆船から学ぶ海と日本』より拝借しました。

西欧の船は、中国・アラブもそうなのですが…、古代より竜骨(キール)に肋骨(リブ)を組み合わせた上に機密甲板(デッキ)の船体構造でした。対する和船を見ると、18世紀末、光太夫の乗った千石船(弁才船):『神昌丸』では、竜骨・機密甲板(デッキ)のない、遣唐使船の時代(9世紀)とほとんど変わりません。まさに、「板子一枚下は地獄」でした。その違いを指して、西欧の船を『樽』、和船を『桶』に例えるそうです。

基本的に、和船は四角帆一枚であり、追い風に乗って進む方法しか知らず、向かい風になれば帆を降ろして港で風待ちをしたのです。17世紀初め、江戸時代前期の廻船は順風帆走・沿岸航海しか出来ず、大阪〜江戸間の航海に平均32.8日を要しました。気象予報は船頭頭の経験と勘、それが外れて嵐にでも遭えば難破、光太夫のように太平洋を漂流することになります。18世紀末、江戸時代中・後期になると、その太平洋に、はるかアメリカからやってきた捕鯨船が遊弋するのがしばしば見られ、日本の船乗りも彼等の操船技術の優位性を学ぶようになり、四角帆一枚でも逆風を利用して航行できる、「風切り」という操船術を習得します。例えば、「新酒番船」という新酒を運ぶ急行便が現れ、1790年、西宮〜江戸を58時間で航海した記録があるそうです。遣唐使船依頼、和船の進歩がほとんど見られないのに、一方の西欧の造船・操船・航海技術は大いに進歩、複数の帆を使いながら逆風を利用して航行する帆走システムを確立していました。

西欧と日本、その彼我の科学技術の差は如何ともし難いものでしたが、日本の技術も捨てたものではありません。ラテン・セイル(三角帆)に遡る、その根本原理は「流体力学(?)」でいう「揚力」でした。西欧のボートはオールで漕ぎますが、これは単純な「力学」。それにくらべて、東南アジア・中国にもあるらしいのですが…、小舟(=伝馬船)の櫓(ろ)は「流体力学(?)」でいう「揚力」を利用、櫓一本で前進後退、横向きにも移動、その使い方よりも、「流体力学(?)」に沿った櫓(ろ)の形状を削り出すのが難しいそうです。
 
しばらくすると、蒸気機関の発達で「外輪船」が登場しますが、オールと同じく単純な「力学」故か…、この「外輪」の効率が悪く、「スクリュ−(=プロペラ)」にとって替わります。近代船の推進装置、「スクリュ−<screw>(=プロペラ<propeller>)」こそ「流体力学(?)」でいう「揚力」の産物であり、ギリシヤ文明に始まる「ネジ、英語でいう<screw>」構造の延長上にあるものでした。ギリシャでは揚水ポンプとして、ローマ文明〜地中海文明ではオリーブやブドウを搾る圧縮機、16世紀にはグーテンベルグの印刷機に、鉄砲を始めとする精密機械に、識字率の向上は人間の思想にも変革をもたらし、これが後の宗教改革、啓蒙思想、のブルジョア市民革命、産業革命に続いていく、西欧でなければ存在しない概念・技術の延長上にありました。

一方、「ネジ」の概念は中国・日本などのアジアの文明には存在せず、日本には、1543年に種子島にポルトガル人がもたらした火縄銃とともに「ネジ」が伝来したとされ、この銃を模して作るに当たり、銃身の最後尾を塞ぐ尾栓に使われていた雄ネジと雌ネジが日本で初めて登場した「ネジ」とされますが、戦国期、世界一の銃器生産国になりながら、造船・操船・航海技術と同じく…、その後の技術的発展は皆無…、まさにプッツリ途切れてしまいました。残念ながら日本に「ネジ」構造・概念は根付きませんでした。

大黒屋光太夫を送り届けたアダム・ラクスマンのロシア使節団は鎖国を国是とする幕府との最初の外交接触でした。来航する西欧船は次第に増加、国防問題に端を発し、国論を二分する「尊皇攘夷」思想に発展、幕府転覆のスローガン:「尊王討幕」に変わって行きます。

※ Amazon:おろしや国酔夢譚 特別版 [DVD] 大黒屋光太夫 (上) (新潮文庫) 大黒屋光太夫 (下) (新潮文庫) おろしや国酔夢譚 (文春文庫 い 2-1)

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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