January 19, 2013

January 19, 2013

日本国王 足利義満

金閣寺  金閣寺、関西で育った人間は小中学校の遠足で一度は訪れたことがあるはず。私も、遠足だけではなく、大学が近くにあったので何回か訪れたことがありますが、昭和の放火事件で焼失、再建された為か、壁の金箔がきらいなのか、どうも…好きになれません。室町幕府第3代将軍:足利義満(1358 - 1408)が造ったとは教科書にある通りで、それ以上の知識はありませんでした。

 時代は動乱の南北朝、九州は南朝の勢力下に在り、後醍醐天皇の第十六皇子:懐良親王(かねよししんのう 1329〜1383 )を頂点に京都奪還を企てていました。※因みに第一皇子は護良親王(もりよししんのう)、1335年、足利直義の命を受けた淵辺義博により殺害されます。

 隣の中国では、洪武帝が元=モンゴルを北へ駆逐して、1368年、明国を建国します。沿岸に頻繁に出没する倭寇に悩まされて「海禁」政策をとっていましたが、倭寇の取り締まり強化、さらには朝貢再開を日本側に求めて使節を派遣してきました。明側が「日本国王」である南朝:懐良親王をして日本における唯一の正統な通交相手としたのはもちろんの事です。京都奪還を目指す懐良親王南朝は、明の援軍、貿易による資金獲得を期待して、明の冊封を受けようとするのですが、その冊封成立を伝える明側の使者が幕府側に捕らえられ、義満の知るところとなります。

 明は「海禁」政策をもって外交と貿易を一元化、貿易を国家の独占としました。「日本国王」の称号を手に入れさえすれば、日明貿易を独占出来るのです。義満は「日本国王」の称号を手に入れるために、何度も明に使者を送って、自身を日本の最高権力者だと訴えるのですが、天皇=「日本国王」の陪臣との通交を認めない、との理由で国交を拒絶されます。終いには、太政大臣を辞して出家、義満は天皇の臣下ではない、と言う訳です。1401年、懐良親王の勢力はすでに凋落、建文帝は義満を「日本国王」に冊封します。なりふり構わず「日本国王」の称号を手に入れたかと言えば…そうでもなく、義満は臣下の礼を持って明使節の接見儀礼に望みますが、自分を上座の位置に置き、お辞儀の数を減らすなどして、国内の反発を押さえたそうです。

 中国(明国)皇帝>「日本国王」、臣下の礼をとるが、中国(明国)皇帝=天皇、対等/同格の関係は維持される、という詭弁でした。

 室町幕府は半世紀にも及ぶ動乱で、味方を得るために獲得した領地を分配したため、幕府直轄領をほとんど持つことが出来ず、当初から中央集権国家成立に失敗したのでした。貨幣経済の発展を受けて、関所の通行税、港の利用税、高利貸し・金融業者からの献金を財源とせざるを得ず、極めて財政基盤の弱い、言わば、京都近く(山城国)の一地方豪族如きものでした。売買・貸借・贈与・寄進など複雑化する貨幣経済活動の中に課税対象:財源を見つけ出そうとする、一見姑息な徴税システムが編み出される中、1回の派遣で20万貫文(今の金額にして約200億円)を売り上げたと言われる「勘合貿易」は、濡れ手に粟、名を棄ててでも取り組むべきものでした。

 義満は金閣寺舎利殿に代表される北山山荘を造営、そこで明使節の接見を行い、政務を行うと同時に、新しい文化の旗手として活躍します。そこで開花した文化は、義政の「東山文化」に対して、「北山文化」と呼ばれます。禅僧を外交官に重用、五山を確立して禅宗を保護、優れた禅世界の漢文・詩文・水墨画を生みます。観阿弥・世阿弥父子を保護、猿楽能を大成し、連歌を和歌と同等の地位に引き上げます。鎌倉時代末期から、五・七・五の長句と七・七の短句を交互に詠み合う連歌会が一般庶民の間でも盛んになり、同時に連歌につきものの茶道が隆盛、喫茶を楽しむ場を「茶の湯」と呼ばれました。茶入れ 付藻茄子

 その「茶の湯」で珍重されたのが中国から輸入された茶器で、「唐物」と呼ばれていました。義満が愛したのが『付藻茄子(つくもなす)』と呼ばれる唐物の茶入で、一説では、佐々木道誉が所有していたのを義満に献上、その後、代々足利将軍家に伝わります。義政の「東山文化」の時代、同朋衆の能阿弥が「茶の湯」を芸術の域まで高め、これを「東山御物」の一つとした。その後、持ち主は転々と変わって戦国時代、信長〜秀吉〜家康、三人の天下人の手に渡ったといいます。

 今や、金閣寺、堂本印象美術館、龍安寺、妙心寺、仁和寺と続く道は「きぬかけの路」と呼ばれるそうで、その道に沿って大学はあり、今思えば素晴らしい環境です。ましてや、南側にある等持院、足利家の菩提寺で、ここに初代将軍:足利尊氏から第15代:義昭までの足利歴代将軍木像があります。全く馬鹿ですね…、在学中に訪れたことはありませんでした。

 数奇な運命を辿った『付藻茄子(つくもなす)』、明治に入って三菱:岩崎家の手に渡り、現在は東急田園都市線:二子玉川に在る「静嘉堂文庫美術館」に収められているそうです。京都に比べれば近いもの、暖かくなったら…、今度は必ず訪れてみましょう。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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