January 05, 2013

January 05, 2013

伊賀上野天神祭

明けましてけましておめでとうございます。本年もご支援のほどよろしくお願い申し上げます。西田氏上野宅提灯

以前から、「見においで」、と声をかけてもらいながら、見たことがなかった『伊賀上野天神祭』を見るために伊賀上野の友人:Toshiさん宅におじゃましたのは去年10月24日、宵山巡航が正に始まろうとする午後でした。

伊賀上野と言えば、地下鉄:半蔵門にその名を残す服部半蔵、織田信長の招きで上方を旅行中の徳川家康一行は「本能寺の変(1582)」の報に接し、彼の手配でこの険しい伊賀国の山道を抜けて、伊勢国から三河国岡崎に帰還します。これを『神君伊賀越え』と呼ぶそうですが、伊賀街道は東海道・中山道のような主要幹線道路ではなく、京都・大和・山城と伊勢神宮を結ぶ参宮道:『お伊勢参り』の道にすぎませんでした。余談ながら、それと同名の味噌漬け物:『伊賀越』は『神君』以前からお伊勢参りの旅人に喜ばれていたのでしょう。ついでに、私も好きです。

1608年、藤堂高虎が伊勢・伊賀二国の大名となり、津を本城に、伊賀上野を支城としたため、津藩の重要な官道として整備されました。『上野天神祭』は、その藤堂高虎の上野天満宮の新・改築、寄進に始まり、元禄年間(1688〜1704)に田楽、能、狂言、疫病退散を祈願して町衆が創作した劇:『鬼行列』が現れ、おおよそ現在の形を成したものと考えられています。
西田宅近くの交差点
伊賀上野、その旧街道沿いにToshiさん宅があり、目の前を『大御幣(おおごへい)』を先頭に、総勢数百の大小の鬼、役行者、鎮西為朝そして9台の楼車(だんじり)が練り歩くのは圧巻です。もちろん家の主人:Toshiさん、それを楽しみに小田原からやって来た客人の二人は、足手まとい…いや、微力ながら…、所属する町内の楼車を牽きます。

面白いのは、元禄時代、疫病退散を祈願して町衆が創作したとされる『鬼行列』。外様でありながら家康の信頼を得た藤堂高虎はよほどの善政を敷いたのか…、彼の生国:先進の近江国につながる伊賀・伊勢が地政学的要地であったからか…、近江商人と並び称される伊勢商人の、松尾芭蕉を生み育てる、町衆・町人文化の肥沃な土壌が生成されていたようです。
鎮西 為朝
為朝は源為義の八男。弓の名手で、鎮西を勝手に名乗り九州で暴れ、「保元の乱(1156)」で父:為義とともに破れ伊豆大島にながされます。ここからは、義経と同じく全くの伝承、伊豆を逃れ遠く琉球に渡る途中、喜界島=鬼界島で鬼を退治します。この鬼を疱瘡(ほうそう)になぞらえ、子供の疱瘡除けのまじないに、為朝の武勇をもって子供を守ってもらおう、という意味でした。

因みに、ここで登場する喜界島=鬼界島、後に平家転覆を画策したとされる『鹿ケ谷の陰謀(1177)』の首謀者:俊寛の流刑地、後に『壇ノ浦戦い(1185)』で敗北した平家の落人の地…として何度も登場します。

祭も終わりに近づいてきました。楼車を牽いた後ろ姿に快い疲れが残る…かどうかは知りません。
巡航も終わり
Toshiさん、ありがとうございました。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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