November 08, 2012

November 08, 2012

2012年近江の旅 Episode 2 〜 番場宿蓮華寺

「KENさんに似た人も居るんだなあ…」と米原駅のベンチにぽつんと一人座る男性を見ていました。すみません。メールをもらいながら、一本早い電車に乗る、という部分を見落とし、彼を待たせていました。大阪で会って以来の半年ぶりの再会、彼を乗せて『2012年近江の旅』出発!

田舎道で車の数も少なく快適、たびたび対向車線に「西武バス(路線バス)」が現れ、ここは東京の池袋か…?、堤一族はこの近江出身なのですからごく当たり前な風景ですが…。西明寺に向かう左前方に広がる大きなコスモス畑で休憩、そこで彼が描いたのが下の絵。この旅が終わって帰宅すると、この絵はがきが届いているではありませんか。非日常の体験が未だ覚めやらぬ、旅の余韻が色濃く残る間にこんな絵手紙をもらって喜ばない人はいないでしょう。ありがとうございました。
DSC01435

『古事記』には「淡海の多賀に坐すなり」と記される多賀神社、その門前、お店の屋根瓦のハロウィン(?)です。彼のようにさらっとは描けません。
多賀神社 門前の店
鎌倉末期、同じ時期ではあるが全く別個に、一向と一遍は、浄土宗の影響を受けて自己の教義を確立、ともに「南無阿弥陀仏」を唱え、遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖として教団を開きます。一遍上人を祖とする藤沢の無量光院清浄光寺(遊行派 遊行寺の名で有名)は自転車で訪れたことがありますが、今回は一向上人を祖とする近江番場蓮花寺(一向派)を訪れます。

元弘3年(1333年)2月24日、隠岐島から脱出した後醍醐天皇は2月28日、伯耆国船上山(現在の鳥取県)で挙兵する。これを追討するため幕府から派遣された足利高氏(尊氏、当時は高氏)は、寝返って後醍醐方に味方、4月27日、丹波篠村八幡にて挙兵、5月7日、一挙に京に侵攻する。六波羅探題の北条時益と北条仲時は光厳天皇と花園上皇を奉じて関東に逃れようと、都を落ちて近江国へと敗走するが、途中、野伏の襲撃に遭い北条時益は殺され、光厳天皇は逢坂にて矢傷を負う。5月8日、都を遠く離れた上野国新田庄(現在の群馬県)では、新田義貞が挙兵します。

蓮花寺 北条仲時の墓六波羅敗走軍はここ番場宿に辿り着くも、蓮華寺にて進退窮まり、命運尽きたことを悟った北条仲時は六波羅軍の解散を命じて自刃、享年28歳、彼に従った北条一門432人が彼の後を追って自刃します。蓮華寺前庭は流れる鮮血で赤く染まり「血の川」と呼ばれ、死体の山で埋め尽くされ、その一部始終を目撃した光厳天皇は、気を失わんばかりに、ただ茫然とするだけであったという。

彼等が逃れようとした鎌倉は、5月21日、新田義貞の「稲村ヶ崎」突破、府内への突入を許します。5月22日、最後の執権、北條高時以下の一族郎党の8百余人は自刃、ここに鎌倉幕府は滅亡します。

鎌倉幕府の滅亡が壮絶な死で終わることは、まだ…判らないでもないですが、鎌倉を遠く離れた近江番場宿、蓮花寺での北条仲時以下432人の死は一層哀れで悲しくなります。平維盛の息子、「六代」は1199年、都から遠く、相模国逗子で切られたのが思い出されます。

時の住職:同阿常人が深く哀れんで彼等を過去帳に留め、彼等の墓を建て丁重に弔ったそうです。

蓮華寺と遊行寺の共通点、もう一つありました。何故か…ともに、「やくざもの」、「股旅もの」大衆演劇につながります。『赤城の子守唄』板割浅太郎の墓が藤沢遊行寺にあって、『瞼の母』の主人公:番場忠太郎が蓮華寺にゆかりがあります。どちらも、一世を風靡した大衆歌謡・演劇でした。

※ 訪問の順番が違うじゃないか…って?はい、順番は無視しています。

Momo holding sign board-HKX Radio※今までの曲は左サイド、Music Player でお聴きになれます。 
Your Support, Please. ▼ ボタンを押して下さい。このサイトの順位がわかります。
にほんブログ村 歴史ブログ 諸文化の歴史へ にほんブログ村 音楽ブログ カントリーミュージックへ 人気ブログランキング


Profile

ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

Back Issues At A Glance
Comments
ISAO's Bookshelf
人気ブログ ランキング
NINJA
Search