June 2012

June 22, 2012

やって来ました、日本の夏! 「Surfin' USA」

持っていたギター:YAMAHA FG-180が「名器」とは聞いていましたが、ヤフオクでの評価・値段を見て「名器」ぶりを確認、自分で付けてしまった古傷に弱気になりながらも…、それを振り切って付けた俄然強気な価格が功を評しました。結果、脳裏をかすめた弱気が少々悔やまれますが…、冷静になってみると、私の予想を大きく上回る高値で、それも、当初は長期戦を予想していたのですが、最初のオークションで早々と落札されてしまいました。

40年間の長きに渡っててお世話になったのですが、実際に弾いたのは二十歳前後の数年間と、それに最近の4年間だけ。封印されたタイムカプセルはほとんどの年月を押し入れの奥で眠っていた訳で、その開封に感謝の意味を込めて、隅々までギターを磨き、新しい持ち主を思い描きながら丁寧にパッキング、宅配便の営業所に持って行きました。有り難く頂いた「厄よけのお札」を神社にお返しするように…。やらなければならない事をやり終えたような、何か、虚脱感のようなものを感じてしまいました。今思えば、娘を嫁に出した時でさえこういう感覚にはなりませんでした。Surfin' USA_5

そして、その週末はバンドの練習日というある日、NobuさんよりSkypeあり。「一度、楽器屋の多い御茶ノ水の水あたりを歩いてみたら…。手に入るまで、オレのギターを貸してやるよ。」 彼のアドバイスは有り難いのですが、私が生涯の内に手にしたギターと言えば先日手放したあの FG-180だけ、私に楽器の「目利き」が出来るはずもなく、加えて…、良さそうな楽器を見つけても、「すみません。ちょっと弾いてもいいですか?」と言えるような、その裏付けとなる、技量を持っている訳でもなく、ましてや、一日や二日で見つかるかどうか判らない…、 御茶ノ水 まで行ってギターを探すのはうっとうしい話です。
APX-10_1
バンドの練習日、彼は約束通りギターを持って来てくれました。エレアコなので、今までのギターに比べ一回り小振り、ネックも細くて握りやすく、一目で気に入ってしまいました。「Nobuさん、これ、私のギターの落札価格で譲ってくださいよ!」 

アンプも付けて譲ってもらったYAMAHA APX-10、大いに気に入っています。

ということで、今年もまたやって来ました、日本の夏!Maruさんのベース、Kun さんのドラム、私からの支払で購入したNobuさんのアンプ、そして私の APX-10、が参加する…、The Beach Boysの曲、「Surfin' USA」、2012年度版です。



※ Amazon: "Surfin' USA" 

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express01 at 11:23|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote Recent Event | Music

June 15, 2012

白河の関

平安時代、都人(みやこびと)にとっては陸奥(みちのく)ははるか彼方の異国の地、異国情緒を感じる、唐突ですが…、言わば『カスバの女』(演歌調でありながらエキゾチック)のような地域だったようで、山城(京都近郊)、大和(奈良)に次いで多く歌われています。

西域_2『街道をゆく − 北のまほろば』で、司馬遼太郎が言うには…、「唐の詩人がときに憧憬した西域までも、平安貴族は好んだ。ただ、どう想像していいかわからず、レールが転轍するように、関東のかなたにひろがる陸奥(みちのく)の天地を連想した、と私は考えている。」 

平安貴族は教養が高かったのですが、どうやって彼等は「西域」と「陸奥(みちのく)」を重ねて連想することが出来たのでしょうか?彼等の学んだ中国語(漢文・漢字)でく西域の情景・イメージを理解し、それを自らの和歌で伝えたのでしょうか?出来たとしたら、どの歌がそれなんでしょうか?和歌の知識は全くないのですが、彼等の憧れた「西域」が「陸奥(みちのく)」に投影されているのであれば、彼等の歌に何らかの形で反映されているはずですが…、そんなことでもないようです。

陸奥(みちのく)への憧憬・異国情緒、陸奥(みちのく)趣味は、征夷大将軍:坂上 田村麻呂(758-811)は蝦夷討伐の遠征から凱旋(801-804)し、多くの陸奥(みちのく)情報が京にもたらされたこともその背景にあったと思われます。あきれた話ですが、『源氏物語』の主人公:光源氏のモデルの一人といわれる、源融(みなもとのとおる 822 - 859)は陸奥国塩釜の風景を模して六条河原院を造営、塩釜を模すための塩を毎日、難波の海(大阪湾)の汐を汲んで運ばせたと伝えられます。かと言って、如何に平安貴族に陸奥(みちのく)への憧憬・異国情緒があるにせよ、陸奥国塩釜の風景を模したり汐を汲んで運ばせることが、唐の詩人が憧憬したことに繋がるなど想像も出来ません。「西域」への憧憬・異国情緒と「陸奥(みちのく)」へのそれは全く別物ではないでしょうか。

平安中期、能因(のういん 988-1058?)が、平安末〜鎌倉初期に、能因の跡を追って西行は1147年と1186年の二度、そして江戸期には、二人の足跡を追って、芭蕉は1689年、陸奥(みちのく)を旅します。
古代東海道
平安時代の彼等は京を発ち、鈴鹿峠、 小夜の中山(遠江国) 、足柄山を越えて坂東(相模国)に入り、横山(武蔵国 ※筆者:イサオの住む町田市と多摩市との境)を北上、府中を通って、安中(上野国)にて東山道に入り、白河関(下野国)を越えて陸奥(みちのく)へ入りました。ある役人の日記では、9月15日に京を出発、11月17日に白河関を越えて陸奥へ入ったそうで、赴任地である多賀城(陸奥)に到着したのが年の暮れ、その間3ヶ月半、さぞ困難・難渋の旅だったでしょう。

その白河の関、芭蕉の訪ねた江戸期(1689)には関の役割はかなり前に終わっており、その関所跡を特定することさえ困難でした。陸奥(みちのく)は、もはや未知の国ではなくなっていました。白河藩主:松平定信は、白河の関の場所を研究して、旗宿という地に在る白河神社を白河の関跡と断定して今日に至っています。空堀が巡らされており、8〜9世紀頃まで蝦夷の南下を防ぐ「砦・柵」、平安末期までの奥州藤原氏の領土の境、としての白河関の役割から言えば妥当な決定でした。
白河関 sketch_2
白河関(境の明神 陸奥側)しかし、個人的には、旧陸羽街道(国道294号)に沿って並ぶ「境の明神」二つ、下野国側の関東明神(住吉神社)と陸奥国側の奥州明神(玉津神社)、これこそが白河関跡にふさわしく見えてしまいます。

深い森

『陸奥(みちのおく)』へ、『未知の世界』へ、『別の世界』へ、自分の『内部世界』へ通じる入り口が『白河の関』でした。
※新世界(New World)へ通じる入り口は地中海の西の端:『ヘラクレスの柱』

何が平安貴族を陸奥(みちのく)への憧憬・異国情緒・趣味に駆り立てたのかは判らず仕舞いです。『カスバの女』は判るのですが…。

※ Amazon: 「北のまほろば―街道をゆく」 「カスバの女」

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express01 at 17:50|PermalinkComments(2)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote Travel | History_Japan

June 09, 2012

ヘラクレスの柱、そのさらに西

その友人は歴史にうるさく、少々クセはありますが…、彼の考察・豊富な知識には敬服せざるを得ません。

二人の話題は「ベネチアがジェノバに勝利し、中世地中海の覇権を握る」ところまでやって来ました。どうでも良い話ではあるのですが…、私の認識では「両者ともに地中海に位置する海洋貿易国家」ですが、彼に言わせれば「ジェノバは地中海だが、ベネチアはアドリア海に位置する。地中海とアドリア海は全く別物。」 確かに、「地中海とアドリア海は全く別物」さえなければ、彼のいうことも(は)正しいことになります。
Ligurian_Adriatic_Sea_map
調べると、「アドリア海」は、イオニア海、エーゲ海等と同じく、地中海の下位にあたる海域の由。→※ Wikipedia 「地中海」 

因みに、ジェノバはリグリア海(Ligurian Sea)に位置し、イタリア半島の西南(コルシカ島、サルデーニャ島、シシリー島で囲まれた)海域はティレニア海(Tyrrhenian Sea)と呼ばれるそうです。これらの海域全てを含むのが地中海です。話は「中世地中海の覇権」ですから、その場所さえ明確であれば、その位置する海域名は二の次で良かったのです。

その「地中海」、幕末・明治の時代に入ってきたMediterranean Seaの訳語でした。そうです、中学あるいは高校時代に覚えるのに苦労したアレです。既に存在していたであろう「瀬戸内海 Seto Inland Sea」とは大いに異なる趣です。medius:「真ん中、中間」 + terra:「土、土地、陸」 = mediterraneous:「陸の間にある、大地の真ん中」を意味するラテン語が語源の由で、これを直訳したのが「地中海」でした。「地中海」は地理的な領域ですが、古代から中世初期にかけては一つの独自な文化圏、「地中海世界」とも言うべき一つの世界を形成していました。

Pillars_of_Herculesその西の果てが「ヘラクレスの柱(Pillars of   Hercules)」(ジブラルタル海峡)で、地中海世界の人たちは、「世界の西の果て」と考えていました。ギリシア神話に登場する神:アトラスはこの地で蒼穹を肩に背負うという役目を負わされ、その名は「支える者、耐える者、歯向かう者」を意味するそうです。アトラスの女性形が「アトランティス」であり、「アトラスの娘、アトラスの海、アトラスの島」を意味し、「ヘラクレスの柱」は別世界・異なる世界に通じる門あるいはゲートであり、この柱の外側の海を「アトランティス」、以降今日に至るまで「アトラスの海 (The Atlantic Ocean)」と呼ばれるようになりました。ユーラシア大陸の最西端は?Atlas

その「大西洋」、同じく何故?昔、中国ではヨーロッパの事を「大西洋、この場合、海洋ではなく、<<大きな+西洋(せいよう)>>の意」と呼んでいたのが、そのまま「ヨーロッパの海」という意味で使われたという説。

もう一つの説。単に「西にある大洋」に思えますが、実は…、 
ご存じの通り「太平洋」は、マゼランが世界一周の航海中に形容した言葉:「静かな海(El Mar Pacifico,The Pacific Ocean)」の訳語で、「pacific」→「泰」→「太」→「太平洋」は容易に訳せますが、「アトラスの海 ( The Atlantic Ocean)」はそうはいきません。おそらく、翻訳者は、「ヘラクレスの柱」がその西の端であるという、ヨーロッパ人の「(地中海)世界」の概念を理解していたのでしょう。

「アトラスの海 (The Atlantic Ocean)」の訳語:「大西洋」は、(地中海)世界の西の果て、「ヘラクレスの柱」のさらに「西に広がる大きな海洋」の意味でした。如何でしょうか?

また、「中世・地中海の覇権」の続きをやりましょう。

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June 01, 2012

長髄彦 ナガスネヒコ

昔々、関西に住んでいましたが、既に長女は生まれていたのでしょうか…、「山辺の道」、「飛鳥の地」へ父親と二人で一泊二日のドライブ旅行でした。これが最初で最後の父親との旅行でした。あくまでも親孝行を目的とした旅行で、車中の話題も自ずと歴史の話、向かっている土地に係わる話でした。
神武天皇2
歴史なのか神話なのかはともかく…、話は『神武東征』に及びます。神武天皇は遠く九州、日向をを出発、吉備、安芸を経て難波に至り河内国に上陸、生駒山を越えて倭の地に侵入を試みますが、そこで長髄彦(ナガスネヒコ)軍の頑強な抵抗に遭い撤退、大阪湾に逃れます。紀伊半島を大きく迂回して熊野に再上陸、現れた八咫烏(やたがらす)に先導され神武東征4て倭の地を攻略、長髄彦(ナガスネヒコ)を滅ぼす話です。再上陸の侵攻ルートが後の熊野信仰・詣でに繋がり、その八咫烏(やたがらす)がサッカーーの日本チームのシンボルとなったのはご存じの通りです。

長髄彦(ナガスネヒコ)一族は崩壊、彼の兄:安日(あび)は放逐されて津軽に逃れ、奥州に下った阿倍比羅夫が任地で子孫を残したと云う説もあるが…、平安後期、陸奥・出羽の豪族:安倍氏の始祖となり、「前九年の役」で安倍頼時(あべのよりとき)が1057年、続深い森いて息子の安倍貞任 (さだとう)が1060年に敗死します。彼の次男:高星(たかあき)は津軽地方へ逃れ、安東氏(後の秋田氏)の祖になったとされるそうです。その後、安東氏は十三湊を根拠地に水軍を整え、遠く日本海を越えて中国、沿海州及び半島との独自の貿易を行って繁栄したという。後に、名字を秋田に改め、関ヶ原の戦いでは東軍に付き、1645年には陸奥三春(福島県)に移され、5万石の三春藩主として幕末まで続いた。

明治維新後、三春藩主:秋田映季(あきたあきすえ)は華族に列せられますが、その際に一悶着が起こってしまいます。
新政府の、いやしくも皇室の藩屏たる華族が長髄彦の兄では困る、という要請に、彼は答えて曰く…、

「恐れながら、当家は神武天皇御東征以前の旧家といふことを以て家門の誇りといたしてをります。天孫降臨以前の系図を正しく伝へてをりますものは、憚りながら出雲国造家と当家とのみしかないのでございます。」
→ ※ 出展:『菅江真澄にも見えていた「東日流の風景」』

真偽は別にして安倍氏の後裔は、大和朝廷に討伐され東北に逃れた長髄彦(ナガスネヒコ)アシタカ2一族の末裔、という強固な自己意識を持ち続けて来たのです。

余談ながら、宮崎駿監督の映画『もののけ姫』はこの長髄彦(ナガスネヒコ)の話をモデルにしたもので、主人公:アシタカはナガスネヒコに由来すると言われています。

旅行から帰った数日後、新聞の見出しに「ナガスネヒコ一族の遺骨か!」とあるではないですか。河内国府の遺蹟の発掘調査があり、普通の日本人に比べ、割合に手足の長い、背の高い人骨が発見されたという。後にこの説は否定的に見られるようですが、長髄(ナガスネ) → 長い脚 → 背が高い → 日本海を越えて越国に上陸、琵琶湖、淀川を経て河内国に入った、当時の日本人とは骨格の違う渡来人(?)、身体的特徴から見て、もしかしたら騎馬民族の一派かも知れません。長髄(ナガスネ)一族が彼の地に居住していた証拠の発見に大喜びしたのを覚えています。

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express01 at 13:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote My Scrap Book | History_Japan
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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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