June 01, 2012

June 01, 2012

長髄彦 ナガスネヒコ

昔々、関西に住んでいましたが、既に長女は生まれていたのでしょうか…、「山辺の道」、「飛鳥の地」へ父親と二人で一泊二日のドライブ旅行でした。これが最初で最後の父親との旅行でした。あくまでも親孝行を目的とした旅行で、車中の話題も自ずと歴史の話、向かっている土地に係わる話でした。
神武天皇2
歴史なのか神話なのかはともかく…、話は『神武東征』に及びます。神武天皇は遠く九州、日向をを出発、吉備、安芸を経て難波に至り河内国に上陸、生駒山を越えて倭の地に侵入を試みますが、そこで長髄彦(ナガスネヒコ)軍の頑強な抵抗に遭い撤退、大阪湾に逃れます。紀伊半島を大きく迂回して熊野に再上陸、現れた八咫烏(やたがらす)に先導され神武東征4て倭の地を攻略、長髄彦(ナガスネヒコ)を滅ぼす話です。再上陸の侵攻ルートが後の熊野信仰・詣でに繋がり、その八咫烏(やたがらす)がサッカーーの日本チームのシンボルとなったのはご存じの通りです。

長髄彦(ナガスネヒコ)一族は崩壊、彼の兄:安日(あび)は放逐されて津軽に逃れ、奥州に下った阿倍比羅夫が任地で子孫を残したと云う説もあるが…、平安後期、陸奥・出羽の豪族:安倍氏の始祖となり、「前九年の役」で安倍頼時(あべのよりとき)が1057年、続深い森いて息子の安倍貞任 (さだとう)が1060年に敗死します。彼の次男:高星(たかあき)は津軽地方へ逃れ、安東氏(後の秋田氏)の祖になったとされるそうです。その後、安東氏は十三湊を根拠地に水軍を整え、遠く日本海を越えて中国、沿海州及び半島との独自の貿易を行って繁栄したという。後に、名字を秋田に改め、関ヶ原の戦いでは東軍に付き、1645年には陸奥三春(福島県)に移され、5万石の三春藩主として幕末まで続いた。

明治維新後、三春藩主:秋田映季(あきたあきすえ)は華族に列せられますが、その際に一悶着が起こってしまいます。
新政府の、いやしくも皇室の藩屏たる華族が長髄彦の兄では困る、という要請に、彼は答えて曰く…、

「恐れながら、当家は神武天皇御東征以前の旧家といふことを以て家門の誇りといたしてをります。天孫降臨以前の系図を正しく伝へてをりますものは、憚りながら出雲国造家と当家とのみしかないのでございます。」
→ ※ 出展:『菅江真澄にも見えていた「東日流の風景」』

真偽は別にして安倍氏の後裔は、大和朝廷に討伐され東北に逃れた長髄彦(ナガスネヒコ)アシタカ2一族の末裔、という強固な自己意識を持ち続けて来たのです。

余談ながら、宮崎駿監督の映画『もののけ姫』はこの長髄彦(ナガスネヒコ)の話をモデルにしたもので、主人公:アシタカはナガスネヒコに由来すると言われています。

旅行から帰った数日後、新聞の見出しに「ナガスネヒコ一族の遺骨か!」とあるではないですか。河内国府の遺蹟の発掘調査があり、普通の日本人に比べ、割合に手足の長い、背の高い人骨が発見されたという。後にこの説は否定的に見られるようですが、長髄(ナガスネ) → 長い脚 → 背が高い → 日本海を越えて越国に上陸、琵琶湖、淀川を経て河内国に入った、当時の日本人とは骨格の違う渡来人(?)、身体的特徴から見て、もしかしたら騎馬民族の一派かも知れません。長髄(ナガスネ)一族が彼の地に居住していた証拠の発見に大喜びしたのを覚えています。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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