May 02, 2012

May 02, 2012

そろそろ、「保元の乱」です

NHK大河ドラマ『平清盛』の視聴率がワーストタイの11.3%と低迷しているそうです。兵庫県の井戸敏三知事の「画面が汚い」と同じく、『映像が見にくい』、『登場する人物関係が複雑』等の視聴者からの声が反映したものでしょう。

私たちは、歴史の今、現代に生きる人間の価値観・道徳・習慣で清盛の時代を見てしまいます。平安時代と言えば、ひらがな・カタカナの発明で日本語の表記が容易になり、『源氏物語』・『枕草子』・『古今和歌集』(残念ながら読んでませんが…)に代表される物語文学・日記文学・和歌が隆盛、平等院鳳凰堂等の和様建築(寝殿造)が登場する国風文化興隆を背景に、貴族による雅(みやび)な宮廷政治をイメージします。しかし、平安末期になると、末法思想の予言が現実の社会情勢に出現し、社会不安が深まります。荒れた京を舞台にするのですから「画面が汚い」のは当然なことでしょう。

平安貴族は、天皇から政治実権を奪い、京で詩歌・管弦などの遊興、恋愛にふけり、退廃的にさえ見えます。権力を奪取した清盛には「悪役」のイメージ。その平家も次第に堕落して貴族化、哀れな末路を迎える。これに代わって、源頼朝が坂東の武士を束ね、京の風:「雅」に染まらない為に都より距離を置いて鎌倉に質実剛健な幕府を開いた、というのが同時代に対する一般的イメージで、これが理由の一つではないでしょうか。

もう一つ、人物関係が複雑で、これを理解するだけでいやになってしまいます。これに恋愛・憎悪が絡み合うのですから、現代人の価値観(恋愛感)・道徳では理解しがたい、「雅」とは魑魅魍魎の世界なのか…、末法の世故か支配階級内の人物関係は隠微に映ります。

待賢門院美しいと聞こえ高い璋子は養女となり、幼い頃は白河院の懐に足を差しいれて眠ったぐらいに、白河院に溺愛されました。美しい少女に成長し、いつしか、養父と養女の関係を越えてしまい、それと同時に幾つかの男女の関係を持つようになります。

璋子が11歳のとき、白河法皇は当時の関白:藤原忠実の長男:忠通に璋子を嫁がせようとしますが、忠実はその縁談を断っています。彼の日記には「実に奇怪不可思議の人也」、「乱行の人」とあります。白河法皇はそんな彼女を自分の:鳥羽天皇に入内させることになります。鳥羽天皇の后になりながらも、白河法皇との密通を続けて顕仁親王(崇徳院)を生み、鳥羽天皇との間には雅仁親王(後の後白河院)を含む6人の皇子を生みます。

鳥羽天皇は顕仁親王(崇徳院)を「叔父子(おじご)」と呼び忌み嫌った。鳥羽天皇にとっては、祖父に当たる白河法皇の御子だから、「叔父」であると同時に、名目上は「子」でもあるの意味。「保元の乱」の遠因。
璋子(待賢門院)と白河法皇と鳥羽天皇の三角関係、その三人で熊野詣に4回も行っており、その旅先では待賢門院を挟んで寝たように、現代の価値観・道徳では到底理解できません。ついでながら、その後のもう一つの三角関係。佐藤義清(さとうのりきよ)は北面の武士であり、「弓馬の道」だけではなく和歌・今様・けまりの名手であり、なおかつ見目麗しい美少年であった。彼が鳥羽院との「浅からぬ契り」、その「男色」の相手であったであろうことは、彼がそのような空間に生きた、ということで容易に想像がつきます。ドラマの中では、佐藤義清の出家する原因を、手の届くはずのない待賢門院への恋慕、に求めていますが、ここにも、待賢門院と鳥羽院と西行(=佐藤義清)の三角関係を見ることが出来ます。待賢門院はよっぽどいい女だったのでしょう。

鳥羽院の死をきっかけに、この年「保元の乱(1156)」が起こります。
それぞれの生きた時代 342
※図をクリックすると拡大します
NHK大河ドラマもそろそろ「保元の乱」でしょうか…、私が理解している人物関係相関図をご覧にいれましょう。
相関図x2
※図をクリックすると拡大します

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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