March 2012

March 25, 2012

『平清盛』は面白い、…NHK大河ドラマはともかく…

宋(960 - 1279)は北方の遼、西の西夏、満州から南下した女真族が建国した金(1115)などの異民族の圧迫に悩んでいました。金と謀って遼を倒したまでは良かったのですが、遼の残党と南宋時代の地図手を組んで金を牽制、これが金の怒りを買い、中国史上における政治的中心地:華北を失います(1127)。長らく漢民族王朝がとってきた『以夷制夷 夷を以て夷を制す』政策が機能しなくなり、異民族王朝の出現を許すことになります。

これら異民族の圧迫により、唐の時代(618年〜907年)に発明された黒色火薬(硝石+木炭粉+硫黄)は実戦兵器への応用が急速に拡大します。金により、華北・東北地方の領土を失った南宋は、より一層、火薬の原料である硫黄を必要とするようになったにもかかわらず、国内にその産地を失い、日本に供給を求めるようになりました。

894年の遣唐使廃止以降も、中央の朝廷や貴族は貿易や交流にきわめて消極的でしたが、九州沿岸の商人たちによる私貿易は続いており、太宰府に代わって博多が中世都市として発展します。平清盛は1167年に太政大臣となり、権力を掌握、その基盤を西国に拡大し、音戸ノ瀬戸を開削(1167)、(機内)摂津国福原に大輪田泊を修築(1162)、安芸国厳島神社を造営(1168)、海上路を確保することになります。
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摂津国福原で奥州産の金・銀などを積み、鬼界ヶ島(薩摩硫黄島)の硫黄を宋へ運び,宋から大量の宋銭・香料・陶磁器などを持って帰るという三角貿易(鬼界ヶ島 → 宋(寧波) → 博多・摂津国福原)を実現。輸入された大量の宋銭は、従来の国産の貨幣を駆逐、貨幣経済の革命的な発展をもたらしました。これは正に、大航海時代、エリザベス1世(在位1558-1603)の時代、英国が莫大な富を得るアフリカ黒人奴隷(三角)貿易と全く同じ構図です。日宋貿易は院政否定、天皇擁護、福原遷都とならんで、清盛が東アジアを見据えた、如何にスケールの大きな政治家であったかを物語っています。
てつはう

宋が日本から大量の硫黄を輸入した訳を、清盛は知る由もなく…、また知る必要もないのですが…、次の異民族王朝:元(1271 - 1361)の時代、モンゴル軍は、「てつはう(炸裂弾)」を持って鎌倉幕府北条政権下の日本に侵攻します(1274/1281)。当時は十字軍の時代、イスラム教徒とキリスト教徒が闘い、そこにモンゴル軍が割り込んでくる、言わば、史上初めての、世界大戦の様相を呈した時代でした。

清盛は『平家物語』では傲慢な悪役として登場し、「貴族化した軟弱な平家が屈強な坂東武者に敗れた」や「奢り高ぶった平家から人心が離れた」とされますが、実は、朝廷、貴族、寺社(比叡山・興福寺)など、没落して行く支配階級側からの強烈な嫉妬・遺恨・敵愾心でした。武家の棟梁の座についた頼朝は、清盛の政策を踏襲して鎌倉幕府を開き、関東武士を結集しますが、どう見ても、チマチマした箱庭のような政権に見えるのは私だけでしょうかね。

モンゴル軍の炸裂弾に驚いた鎌倉武士でしたが(1274/1281)、ただびっくりしただけで、それが何であるかは興味もなかったのでしょうか…、次に日本人が鉄砲を目の前に持たらしたのは1543年、種子島に漂着したポルトガル人でした。中国 → イスラム → ヨーロッパ → 日本、あれから260年もかかっています。中国4大革命のうち、製紙・活版印刷はかなり初期の段階で、羅針盤は鎌倉時代までに日本に伝来したと思われますが、火薬も、中国から直接、あるいは朝鮮経由でもっと早い時期に伝来していたのではないでしょうか。

バグダッド陥落(1258)
グダッド陥落(1258)
NHK大河ドラマ:『平清盛』の人気は今ひとつ…、らしいですが、歴史上の『平清盛』は大いに見直されるべきでしょう。
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March 11, 2012

『3.11』が巡って来ました

西行NHK『平清盛』、北面の武士:佐藤義清は、待賢門院璋子(たまこ)への片思いが原因(?)で…、23歳で出家、以降『西行』を名乗り、1143年、26歳の時、何故奥州なのかは不明ですが、最初の奥州の旅に出ます。

それから40年後、戦乱:『治承・寿永の乱、 あるいは、源平の戦い(1180 - 1185)』を避けて伊勢の国に庵を組んでいました。戦乱で焼け落ちた東大寺大仏復興のための寄進が捗らず、再建の責任者:俊乗坊重源(ちょうげん 1121 - 1206)に依頼されて、大仏を鍍金(金メッキ)するために必要な砂金を寄進する旨約束してくれていた藤原氏を訪ねて、1186年、70歳を前に再び奥州へ旅立ちます。

今日、『3.11』がやって来ました。メディアの多くは『東日本大震災からの1年』を特集していますが、被災地そして日本の今後を考えると暗澹たる気持ちになってしまいます。言いたくはないのですが…、この1年を振り返ると、政治、官僚はもちろんのこと科学・技術、報道、教育、宗教…等、どれをとっても『日本の〜界のリーダー』(あるいは『専門家』)には本当にがっかりさせられてしまいました。

しかし、西行の奥州行を調べていると、偶然、ちょっと古いのですが、約1年前のニュースにぶつかりました。2011年4月8日付の産経新聞に…

『1300年前の縁…東大寺が1億円寄付 銀行借り入れ「宮城の文化財修復に」』…とあります。

宮城県涌谷(わくや)町は日本で初めて金(砂金)が採れた所。奈良時代、聖武天皇によって東大寺の大仏が建立されました。大仏は銅で鋳造された後、金で鍍金(メッキ)されるはずでしたが、その金が不足し、 大仏の完成が危ぶまれていました。そこへ749年、日本で初めて産出した砂金900両が陸奥国守百済王敬福(くだらのこにきしけいふく)によって献上され、大仏は無事完成しました(752)。

「白村江の戦い(663)」で唐・新羅連合軍に敗れ、半島での足場を失い、百済からの難民を受け入れ、唐の侵攻も恐れられる中、断固たる決意で律令国家を目指し、唐(中国)との冊封関係を断ち切った日本。その国家安泰・人々の幸福・五穀豊穣を祈願して建立されたのが東大寺大仏。奈良時代のみならず、鎌倉時代の西行による勧進に応え、2度までも(…実は3度)奈良東大寺大仏建立・再建を支えたのが奥州、今の東北地方でした。

これに応えたのが『東大寺の1億円寄付』。ちょっと…、古いのですが、「ほっ」とさせられたニュースです。

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March 09, 2012

バラッド Ballad

アメリカ音楽の起源を辿ろうと始めたのですが、その一つが、中世、イギリス諸島(=ブリテン島及びアイルランド島)のバラッド(=Ballad)に行き着きます。それも、イングランドのロビン・フッドの伝説に突き当たってしまい、前回の『歴史の分岐点』に脱線してしまいました。中世の吟遊詩人(=Minstrels)は封建領主の雇われ、主人のために、楽曲を奏で、歌い、物語などをしてきましたが、これが『バラッド』で、定型詩の形で歌い継がれた架空の物語でした。当時喜ばれた演目の一つがロビン・フッドの伝説で、当初は武勇伝だけでしたが次第に英雄・恋愛・ロマンものに広がって行きました。

しかし、1455年のグーテンベルグに依る活版印刷技術の発明は、宗教・言語・科学・政治・文化…と、あらゆる分野に革命的変化をもたらします。今まで吟遊詩人(=Minstrels)によって口頭で歌い継がれてきた『バラッド』が印刷物に替わり、圧倒的な速さと正確さで多くの人に伝搬するするようになりました。言葉を換えれば、吟遊詩人(=Minstrels)の衰退です。16世紀のイングランド、このような印刷物はブロードサイド(=Broadside)と呼ばれ、恋愛、宗教、飲酒、伝説、災害、政治、セックスなどを題材ににした歌謡・物語がブロードサイド・バラッド(=Broadside Ballad)で、主に街頭や市場に立つ呼び売り人(=chapman)に依って売られていました。

The New Christy Minstrels因みに…、昔、60年代のフォーク・ブームの時代、『Green, Green』というヒット曲で有名な、ニュー・クリスティ・ミンストレルズ(The New Christy Minstrels)というグループがありましたが、Minstrelsとはこれなんですね。ついでに…、このグループを独立して『明日なき世界 Eve Of Destruction』をヒットさせるのがバリー・マクガイア(Barry McGuire)です。好きでした。Barry McGuire

同じく…、当時の日本、ザ・ブロードサイド・フォーとかいうバンドがありましたが、この『ブロードサイド』がそれですか?私はMinstrels も Broadside も知りませんでした…。

元へ…。エリザベス1世(在位1558-1603)の時代植民地主義で先行していたポルトガル、スペイン、オランダを次第に駆逐、英国は奴隷貿易で莫大な富を得ます。その奴隷貿易によりアフリカの音楽:ブルース(=Blues)の萌芽(?)がアメリカにもたらされますが、16世紀後半になると英国の北アメリカ大陸への植民と共に入ったブロードサイド・バラッドがこれに少なからぬ影響を与え、後にブルース(=Blues)に育っていきます。
当時英国は、アイルランドがスペインと手を結び、どちらもカソリック、侵略して来るものと恐怖していました。エリザベス1世は非情な強硬手段を取り、結果、アルスター地方(現在の北アイルランド)は焦土と化し、厳しい冬を前に恐ろしい飢餓が始まり、破れた反乱軍のほとんどはヨーロッパ大陸(フランス)へと逃れます。その人口減少を埋めるように、スコットランドからは農業技術に長けたプロテスタントが、宗教的迫害や不作を理由にアルスター地方(北アイルランド)に移住、後の『アイルランド紛争』の原因となります。彼等はスコッツ・アイリッシュ(Scots-Irish)と呼ばれ、18世紀、宗教的迫害やアイルランドを襲った飢饉は、彼等をアメリカ大陸への移住に駆り立てることになります。

彼等はアパラチア山脈周辺に居住します。そうです、Almost heaven, West Virginia  Blue Ridge Mountains, Shenandoah River  ♪…と歌われる地域です。この地は、英国人の最初の入植地:ジェームス・タウン(James Town)もあり、アフリカから連れてこられた黒人奴隷が最初に住み着いた土地でもありました。こうして、二つの文化の化学反応が始まりました。

スティーブ・アール(Steve Earle)の曲:『The Mountain』、ここではレボン・ヘルム(Levon Helm)が歌います。これもバラッド、気に入っています。


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March 01, 2012

歴史の分岐点

Minamoto_no_Yoritomo1192年、日本史で言えば源頼朝が鎌倉幕府を開いた年。同じ頃、地球の裏側は、獅子心王(Lion Heart)の異名をとったイングランドのリチャード1世のサラディン軍相手の戦闘と講和、第3次十字軍(1189年〜1192年)の時代でした。戦闘でイスラム側の捕虜となるも、同じ収容所の仲間、ムーア人と一緒に脱獄、母国:イングランドに帰り、国王の留守を狙king richardって政権奪取を狙う地方行政官(Sheriff)と戦う義賊の頭領:ロビン・フッドの物語で、映画:『ロビン・フッド(Robin Hood: Prince of Thieves 1991)』ではケビン・コスナーが演じています。ロビン・フッドは実在の人物ではありませんが、この映画の時代考証はどうでしょうか…。

Robin_Hood_telescope

一緒に付いてきたムーア人が望遠鏡を取り出して未だ遙か彼方に居る追っ手を見つけます。「見てみろ」とその望遠鏡をロビン・フットに手渡すのですが、望遠鏡をのぞくと追っ手が目前に迫って見え、彼はあたふたと剣を抜いて闘おうとする始末に苦笑します。ムーア人は、望遠鏡はともかく、爆発物(火薬)を作り、使うことは出来たのでしょう。時代がしばらく下って鎌倉時代、文永(1274)及び弘安(1281年)の役と2度に渡る「モンゴル襲来」では爆発物(火薬)に度肝を抜かれる日本でした。12世紀末のイングランドにも、13世紀末の日本にも、未だ火薬が存在しない、いずれも文明の及ばない辺境に過ぎなかったのです。

8世紀にはイスラム勢力がアフリカ西北部に進出、ムーア人と呼ばれていました。彼等はジブラルタル海峡を渡って、711年西ゴート王国を滅ぼし、イベリア半島を支配していました。タラス河畔の戦い(751)で捕えられた唐の捕虜から製紙技術がイスラム世界に伝わったとされ、12世紀にはアンダルシア地方でも生産されるようになりました。

東地中海では、1453年ビザンツ帝国がオスマン朝トルコにより滅亡、逆に西地中海では、ポルトガルが徐々にイスラム勢力を駆逐、1492年グラナダが陥落し、レ・コンキスタが完成しますが、東地中海を放棄、ジブラルタル海峡の西、大西洋に活路を見いだします。ここまでは、ギリシャ・ローマ文明の後継者である西ヨーロッパキリスト教(ローマカトリック圏)文明の大敗でした。wine_press

15世紀には、イベリア半島を通じて製紙技術及び木版印刷技術がヨーロッパに伝わったと思われます。中国起源の木版印刷技術はバレンで「摺る」ですが、ヨーロッパでは普及しませんでした。1445年頃、グーテンベルグ(1398 - 1468)はアンチモン合金のguten_press活字、この活字を並べて組版します。地中海世界で古くから使われているオリーブ・ぶどうの圧搾技術(搾油・搾汁技術)を応用して、凸面に付いたインクを紙に押し付ける、「プレス (Press)」する活版印刷機を発明しました。

これを機に、従来ラテン語で印刷されていた聖書がそれぞれの国の言語で印刷されるようになり、自らの言葉で聖書を読む=聖書への復帰と言う形で、宗教改革に発展していきます。グーテンベルグ以降の50年間に作られた印刷本の数は、それ以前1000年間に作られた書籍の数の何倍にも達したというように、旅行記・地図の出版が新たな地理的発見を生むことに繋がり、1543年の地動説、1609年のケプラーの法則、1687年のニュートンの万有引力の法則の発見等の科学技術の爆発的膨張はその後、ワットの蒸気機関の発明(1769)そして産業革命、近代市民革命、国民国家の成立につながって行きます。
鉄砲
ギリシャ・ローマ文明を生んだ地中海が原産の(…かどうかは知りませんが…)オリーブ・ぶどう。その搾油・搾汁技術の要は「ネジ」です。その「ネジ」は、1543年、種子島に漂着したポルトガル人のもたらした鉄砲と共に日本に持ち込まれました。1600年「関ヶ原の戦い」では5万丁の鉄砲が投入されますが、これをピークに鉄砲の生産は減少、江戸時代になると鉄砲の技術的発展は全くなく、銃把(=グリップ)の装飾に贅をこらすなど、兵器=道具としてよりも意匠・工芸美術品に成り下がり、とうとう日本から姿を消してしまいました。

「十字軍派遣」は歴史の大きな分岐点でした。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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