March 11, 2012

March 11, 2012

『3.11』が巡って来ました

西行NHK『平清盛』、北面の武士:佐藤義清は、待賢門院璋子(たまこ)への片思いが原因(?)で…、23歳で出家、以降『西行』を名乗り、1143年、26歳の時、何故奥州なのかは不明ですが、最初の奥州の旅に出ます。

それから40年後、戦乱:『治承・寿永の乱、 あるいは、源平の戦い(1180 - 1185)』を避けて伊勢の国に庵を組んでいました。戦乱で焼け落ちた東大寺大仏復興のための寄進が捗らず、再建の責任者:俊乗坊重源(ちょうげん 1121 - 1206)に依頼されて、大仏を鍍金(金メッキ)するために必要な砂金を寄進する旨約束してくれていた藤原氏を訪ねて、1186年、70歳を前に再び奥州へ旅立ちます。

今日、『3.11』がやって来ました。メディアの多くは『東日本大震災からの1年』を特集していますが、被災地そして日本の今後を考えると暗澹たる気持ちになってしまいます。言いたくはないのですが…、この1年を振り返ると、政治、官僚はもちろんのこと科学・技術、報道、教育、宗教…等、どれをとっても『日本の〜界のリーダー』(あるいは『専門家』)には本当にがっかりさせられてしまいました。

しかし、西行の奥州行を調べていると、偶然、ちょっと古いのですが、約1年前のニュースにぶつかりました。2011年4月8日付の産経新聞に…

『1300年前の縁…東大寺が1億円寄付 銀行借り入れ「宮城の文化財修復に」』…とあります。

宮城県涌谷(わくや)町は日本で初めて金(砂金)が採れた所。奈良時代、聖武天皇によって東大寺の大仏が建立されました。大仏は銅で鋳造された後、金で鍍金(メッキ)されるはずでしたが、その金が不足し、 大仏の完成が危ぶまれていました。そこへ749年、日本で初めて産出した砂金900両が陸奥国守百済王敬福(くだらのこにきしけいふく)によって献上され、大仏は無事完成しました(752)。

「白村江の戦い(663)」で唐・新羅連合軍に敗れ、半島での足場を失い、百済からの難民を受け入れ、唐の侵攻も恐れられる中、断固たる決意で律令国家を目指し、唐(中国)との冊封関係を断ち切った日本。その国家安泰・人々の幸福・五穀豊穣を祈願して建立されたのが東大寺大仏。奈良時代のみならず、鎌倉時代の西行による勧進に応え、2度までも(…実は3度)奈良東大寺大仏建立・再建を支えたのが奥州、今の東北地方でした。

これに応えたのが『東大寺の1億円寄付』。ちょっと…、古いのですが、「ほっ」とさせられたニュースです。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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