November 18, 2011

November 18, 2011

「遊行寺」、なんと盛りだくさんな…

友人に誘われて、歴史ネタを探すべく、大和から自転車道を南下、藤沢に在る「遊行寺」に行って来ました。

 ★より大きな地図で 遊行寺 を表示
恥ずかしいことに、「遊行寺」に関する知識は皆無、以下は家に帰ってきてからの後知恵です。藤沢という街は東海道五十三次の3番目の宿場町、と言うだけにとどまらず、遙か鎌倉時代より、「遊行寺」、正しくは「藤沢山無量光院(とうたくさんむりょうこういん) 清浄光寺(しょうじょうこうじ)」の門前町として栄えたようです。時宗は一遍上人(伊予国に生まれる1239−1289)を開祖とする浄土宗の一流で、阿弥陀如来を信仰、「南無阿弥陀仏」を唱え、広く全国を遊行したことに「遊行上人」や「遊行寺」の名は由来します。「踊り念仏」は盆踊りの原型ともいわれる。

本堂の方へ歩いていくと、年配の婦人が話しかけてきます。見るからに上品な女性ですが、闘病生活を送っておられるらしく、80歳、この寺にあるかも知れぬ「柳」の木を探して、大船から訪ねて来られたそうです。彼女は『謡(うたい)』を趣味としているそうで、ハンドバッグから何やら『遊行柳』の演題の書き物を見せてくれます。彼女の年齢によるものか、どうも話の内容を把握するのが難しく…、というよりは、私には彼女を理解するだけの教養がなかった、と後で知ることになります。
遊行寺本殿












彼女の捜している「柳」はこの寺ではなく、遠く、那須芦野(栃木県)にありました。

平安時代末期、漂白の歌人:西行は陸奥平泉に旅しこの地を訪れます。そして、室町時代後期、観世信光(1435〜1516)は、この「柳」をテーマに創作した演目が『遊行柳(ゆぎょうやなぎ)』でした。

「時宗の僧、遊行上人が一遍上人の教えを広めようと奥州へ向かいます。白河の関を越えた所で老人に呼び止められます。老人は古道にある名木:「朽木の柳」を案内しますが、上人の念仏を授かって古塚の陰に消えます。(中入)不思議に思い念仏を唱えまどろんでいると、柳の精が烏帽子狩衣の姿で現れ、柳の故事等を聞かせ、報謝の舞を舞い、そして消え失せる」、という筋立てとなっています。→ 喜多能楽堂

西行の後、江戸時代には芭蕉、そして蕪村が、追いかけるように芦野の『遊行柳』を訪れます。
熊野に惹かれて
浄瑠璃や歌舞伎で有名な『小栗判官と照手姫』の墓、近年新しく発見された『晩年の空也上人立像』、経緯は判りませんが、歴史の教科書で見る「後醍醐天皇の肖像」が重要文化財として所蔵されています。『熊野に惹かれて』をテーマに、熊野信仰に因む多くの絵画や彫刻、絵・物語が展示されていますが、敷地内の大きな資料館は如何にこのお寺にまつわる話が東海林太郎多いかを物語っています。
淺太郎鴉2
一世を風靡した歌手:東海林太郎の大ヒット曲に歌われる、国定忠治の子分、板割浅太郎(いたわりのあさたろう)の墓があります。
その彼がやおら…『赤城の子守唄』を口ずさむのは当然のこと。私が舟木和男の『高校三年生』を諳んじているのと同じです。まだまだ「遊行寺」にまつわることが書けそうです。

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さすがにタグも盛りだくさんです。▼

express01 at 17:20|PermalinkComments(2)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote Recent Event | History_Japan
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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