August 2009

August 15, 2009

さらに西にあった、とてつもない文明、イスラム

遣隋使は607年、小野妹子が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」で始まる国書を持って訪問したことに始まります。なんと大きく出たものでしょうか、小気味いいのですが、見栄を張りすぎているように思えます。倭王が自分と同じ「天子」を名乗ったことで皇帝:煬帝は激怒しますが、皮肉なことに、それからわずか12年後、随はほんとうに「日没する処」となってしまいます(619)。

代わって興った唐にも、630年、遣唐使を再開することになりますが、「白村江の戦い(663年)」で唐と新羅の連合軍に百済と倭国は破れ、倭国は朝鮮半島より撤退します。

710年、言わずと知れた「せんとくん」の平城京遷都、唐の都:長安を模して造られた、と教わりました。当時東アジア最大の都市、世界の経済・文明(≒文化)の中心、長安に学び、最先端の文物を持ち帰るのが遣唐使でした。派遣された一握りのエリートが彼らの目で選んだ文明(≒文化)を持ち帰り、自国の文化を塗り替えてしまうのですからすごいことです。残念に思われるのは、それに続く国風文化がチマチマして、躍動性に欠けると言うことです。外交よりも内政、先進文明に恐れ入ってしまい、内向きにならざるを得なかったのでしょうか…。

唐及びイスラム帝国 AD700…が、しかし、彼らが学んだ唐のさらに西方には、もっと先進の、とてつもない、少なくともその後の世界史により多大の影響を与えた、文明(≒文化)が存在したのでした。イスラム帝国(私の時代にはサラセン帝国と学んだようですが…)ウマイヤ朝(661年 - 750年)、それに続くアッバース朝(750年 - 1258年)が西は北アフリカ、地中海から東は中東、現在のイランまでの広大な版図を築いています。   History of Asia より拝借↑

勢力を伸張する両文明の軍は、751年、中央アジアのタラス(Talas )河畔にて衝突、唐軍が大敗します。これを機に、イスラム帝国、アッバース朝はシルクロードを完全な支配下に置くことになります。さらに重大なことは、中国で秘密にされていた製紙技術が唐軍の捕虜から伝わります。以降、この製紙技術は、従来のパピルスや羊皮紙を駆逐、印刷技術とともに世界史的な意味を持つことになります。

イスラム文化はギリシャの書物(思想・哲学、錬金術・数学・医学・天文学・地理学等の自然科学)をアラビア語に翻訳、インド由来の数学(「0」の発見)を結びつけることによりさらなる発展を遂げていました。帝国周辺の高度な文明(≒文化)を積極的に受容し、製紙・印刷技術は帝国全土にさらに高度な文明(≒文化)を、さらに広く、速く伝搬させることになります。因みに、今でもそう呼ばれているかは知りませんが、「アラビア数字、算用数字」の呼称は彼らが計算方法を完成させたことを示しています。英語のアルジェブラ(algebra 代数)はアラビア語由来。

地球儀をさらに回転させて西ヨーロッパ。遠い昔に西ローマ帝国は滅亡(476年)してしまっており、「停滞した中世」、「暗黒時代」と呼ばれるものでした。西ヨーロッパ文化の「再生」、「復興」には、文字通り、ルネサンス(Renaissance)を待たなければなりません。

「オリエンテーション Orientation 方向付け」という言葉。Orient は Origin と語源が同じくラテン語(?)「日が昇る処 東」を指しますが、中世ヨーロッパから見て「東を指し示す」とは「先進の東方に学ぶ」という意味があったようです。

「日出ずる処」とは違い、中世ヨーロッパはなんと謙虚だった(…??)のでしょうか。

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express01 at 10:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote My Scrap Book | History_World

August 09, 2009

「せんとくん」と阿修羅像

「あの文明発祥の地の今日は…」と、眼を日本国内に転じると平城京、奈良に突き当たってしまいます。どうも、「文明」という言葉はそぐわないのですが…。

「一国の文化はその首都に集約される」そうですが、まさに当時の日本文化は平城京に集約されていたのでしょう。

しかし、今日の奈良は、関西育ちの私にとっては、小中学校時代、退屈な遠足の目的地に過ぎませんでした。日本歴史の宝庫、それに関連する観光名所ではあっても、失礼ながら、今日の奈良から外部に向けて発信・放射され、外部からも普遍的と評価される「奈良独自の価値=文化」は1300年前の「平城京の天平文化」に尽きるのではないでしょうか。

平安京、京都が明治維新まで約1千年、日本の首都であったことに比べると平城京が首都であったのが短すぎる故か、今日でも使われる「くだらないものですが」と、京都に対する「あこがれの念」は、残念ながら、奈良に対しては持ち合わせていないように思えます。少なくとも庶民の「あこがれの念」という意味においては…。天平文化は平安京に継承されてしまい、その地でさらなる発展を遂げるの仏教寺院だけで、いや、「仏教こそ」が普遍的価値であったということなのでしょう。
せんとくん
関西ではおなじみ(?)の「せんとくん」,来年、2010年、「平城遷都1300年祭」のマスコット・キャラクターだそうです。有名な彫刻家によるデザインらしいのですが、あまり評判がよろしくないようです。

一方、先日の東京国立博物館での阿修羅像〔天平6年(734)興福寺蔵〕はその展示期間中、80万以上の人々を魅了しました。

「ぽっと出」のキャラクター:「せんとくん」は、阿修羅像の前では、比べるのも不遜で、酷な話ですが、全く勝負になりません。

久しぶりに奈良に行ってみたいものです。
世界につながっていた、天平文化を訪ねて…。

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express01 at 17:57|PermalinkComments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote My Scrap Book | History_Japan
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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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