January 2009

January 19, 2009

イギリスの「アーツ & クラフト」と日本の「民芸運動」

Blackwell 1312月24日湖水地方、ウィンダミア湖畔に立つ「ブラックウエル館(Blackwell)」を訪れました。産業革命で財をなしたエドワード・ホルトがM.H.ベイリー・スコット(Mackay Hugh Baillie Scott 1865-1945)に設計を依頼、1900年に完成した館です。

ベイリー・スコットは世紀末を背景とする芸術潮流:「アーツ & クラフト運動」の一翼を担う建築家でした。

Blackwell design.ウィリアム・モリス(William Morris, 1834 - 1896)は、産業革命で大量生産された商品があふれ、一方ではかつての職人は工場労働者に没落、彼らの手仕事に依って創り出されたものが衰退して行く状況を危惧、「生活と芸術の統一」を目指す芸術運動を興します。

M.H. ベイリー・スコットも彼の意志を建築分野で継承、後にフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright 1867 - 1959)にも大きな影響を与えることになります。建築分野にとどまらず、あらゆる生活用具において「アーツ & クラフト運動」が見られ、その後の「アール・ヌーボー」に引き継がれることになります。

一方の日本。日清戦争(1894 - 1895)に勝利したものの、来るべき日露戦争(1904 - 1905)に備えねばならず、芸術運動どころではなかったのでしょう。やっと余裕が出て、落ち着いてきた時代、1926年(大正15年)、柳 宗悦(やなぎ むねよし 1889 - 1961)は民衆の生活に欠かせない、陶磁器、漆器、木工品、織物等の日用雑貨、朝鮮李王朝時代の白磁、家具を評価、純粋芸術(Fine art)でもなく高価な古美術でもない、無名職人による工芸品に美を発掘、「民芸運動」という彼独自の芸術運動を興します。

その協力者の一人が、イギリス人陶芸家:バーナード・リーチ(Bernard Howell Leach 1887 - 1979)で、1909年日露戦争直後、日本の産業革命のまっただ中に、版画家として来日、以降、陶芸を学び、陶芸を純粋芸術ではなく、「日用品としての用を満たす器の形状や触覚」ととらえるに至ります。1920年、彼は日本を離れ、イギリスに製陶所を設立、工房活動に入ります。彼の活動は正に、ウィリアム・モリスの「アーツ & クラフト運動」継承し発展させたのでした。

イギリスの「アーツ & クラフト運動」、そして日本の「民芸運動」、時間差こそあれ、ともに産業革命=大量生産へのカウンター(対抗運動)でした。

柳 宗悦やバーナード・リーチと白洲 正子(1910-1998)との関わりは知りませんが、彼女の夫:白洲 次郎(1902 -1985)はケンブリッジ大学に学び、二人が結婚後、1940年、対米英戦を予期して、東京から離れた田舎(現在の町田市)に古い農家を購入、「武相荘(ぶあいそう)」と名付け、カントリー・ジェントルマンを実践したのは面白いことです。


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January 15, 2009

冬至祭、異教徒の見たクリスマス

Blackwell 1612月24日、 クリスマス・イブ。 日本でも「ピーター・ラビットの世界」として人気のある湖水地方、Lake Dsitrictに出かけましたが、予想以上に遠く、湖水地方のさわり、入り口を見ただけで引き返してYorkに帰って来ました。

商業主義に毒された(?)日本からやって来た私にとって、Yorkの街は寂しい限り、競ってイルミネーションを飾る光景には出くわしませんでした。通りを歩いていると、幾組かの若者が馬鹿騒ぎをしながら通りを歩いていくのが、それといえばクリスマス・イブらしい風景。馬鹿騒ぎが目立つのも、その周りがあまりにも寂しいということでしょう。若者以外の多く Minster Hotelの人たちは我が家に帰り、家族でクリスマス・イブを楽しんでいるのでしょう。


ホテルのロビーにはクリスマスツリーがかわいく飾ってあります。


一夜明けた、25日はクリスマス・デイ。ホテル内の客どうしが朝、「Good Morning」の替わりに「Merry Christmas or Happy Christmas」と挨拶。24日夜まであれだけ盛り上がったムードも25日を過ぎれば突然「賞味期限切れ」となる日本とは大違いです。朝8York 6時、Yorkの街に出てみると、静かな中にも厳かな雰囲気で、どこか昔の日本のお正月に近いものを感じます。ゴシック建築の最高傑作とされるミンスター寺院は、クリスマス・ミサの準備も整い、近郊からやって来たと思われる多くの信者を迎え入れています。寺院に入りましたが、やはり我々は異教徒、彼らの儀式に失礼があってはならないと、早々に失礼しました。

キリスト教徒にとってはクリスマスは最大の行事なのでしょうが、生誕の地:ベツレヘムから遠く離れた北ヨーロッパではもう一つ大きな意味があるようです。12月22日は冬至、北半球では太陽が最も遠くなり、その高度が最も低くなります。古代ローマにおいても、冬至を太陽が復活する日、新しい1年が再び始まる日として盛大な祭典を設けており、ガリアに住むケルト人・ゲルマン人には冬至祭の習慣がありました。後に、新興宗教であるキリスト教普及の為に「キリスト生誕」と土俗習慣「冬至祭」とを結びつけたのでしょう。クリスマスツリー、サンタクロース、トナカイにそり、全ての道具立てが北ヨーロッパのものです。

どんよりと雲に覆われた空、大地に広がる暗緑色の牧草地、信号機の赤・黄・緑が妙に鮮やかに映る街。たった1週間の滞在でしたが、より原始的な太陽復活・春への渇望であるケルト人・ゲルマン人の「冬至祭」の方がしっくりくるように思えるのは、我々が異教徒だからでしょうか。「春よ来い。早く来い。」とは、彼らには少々悠長、「ゆず湯」ぐらいでは暖まりそうにはありません。

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January 12, 2009

文明のかろうじて及ぶ最果ての地、ハドリアヌスの長城 Hadrian's Wall

Hadrian's Wall 412月23日、Yorkを出て、A1を北に向かう。ここに来ると国道:M1はA1に変わり、片道3車線が2車線になっています。なだらかな起伏の丘陵地帯が遙かに続き、日は既に昇っているはずなのに空は地平線まで、一面の雲に覆われています。高速道路の両側の景色はLondonからYorkとほとんど変わらず、どこまでも続く緑の牧草地、所有地を区分するためであろうが、スレート石を積み上げた石垣で囲まれており、なかに点々と羊が見えます。不思議なことに、農耕地は全く見あたらず、人家の周辺を除いて森や林も見あたりません。ただ、延々と羊の放牧地が続くのです。一面の灰色の空、石垣、石造りの民家、全くモノクロ写真世界です。そこに牧草の暗緑色を後からかぶせたような景色です。

3時間は走ったでしょうか、既に幹線道路をはずれ、簡易舗装となり道幅も狭く、頂きから前方をみてもその底が見えないような起伏の激しいジェットコースターのような道路がB6318と標識のある道路にぶつかります。これが目指す「ハドリアヌスの長城 Hadrian's Wall」に沿って造られた、古代ローマ人の道路とは後日知りました。

ハドリアヌス帝 ローマ帝国ハドリアヌス帝(117年 - 138年)は、それまでの版図拡大政策を断念、帝国防衛体制の確立・内政の整備へとその政策を大きく変換します。

日本では、存在自体も疑わしい、卑弥呼(175年頃? - 248年頃)が生まれるちょっと前、122年、彼はこの地に帝国最北の防衛線建設を命令します。これが「ハドリアヌスの長城 Hadrian's Wall」 です。

ライン河、ドナウ河と並んでこの長城はローマ帝国の防衛線の環(リム Rim)をなすもので、その以西(以南)を帝国絶対防衛圏と定めたものでした。因みに、Rhein(ライン河)及び英語のRim(車輪のリム、へり、周縁)の語源はこれのようです。

Hadrian's Wall 23灰色の雲に覆われた空、吹きっさらしの暗緑色の大地。ローマ帝国最北の防衛線、まさに辺境、文明のかろうじて及ぶ最果ての地。古代ローマのに思いを馳せるべく舞台は整っているのですが、どうもその北風の寒さに負けて十分には感情移入することが出来なかったようで、用意していたタイツ、手袋をホテルに忘れてきた事が悔やまれます。訪れたHousestead Roman Fort(ハウステッド、ローマ人の砦)は確か2〜3月は閉鎖のようで、この期間にはさらに厳しくなるのでしょう。

Hadrian's Wall 6この長城を建設した人たち、駐屯していた兵士は遠くローマからやってきたのか…と思いきや、技術者や兵士はドーバー海峡を越えたオランダ、ベルギー地方の、その当時既にローマ市民であった人たちがその任務に就いたようです。長城建設を命じたハドリアヌス本人も、ローマてはなく、属州の一つ、ヒスパニア(スペイン)出身なのですから、如何に帝国全土に渡ってローマ法での統治がなされていたか、ということでしょう。

5世紀に入ると、(西)ローマ帝国の防衛線の環(リム)はライン・ドナウ河でゲルマン人侵入を許すようになります。ここに至っては、西ローマ帝国政府にはもはや遠いブリタニアを維持する力はなく、AD 407年コンスタンティウス3世はブリタニアを放棄、残存ローマ軍を率いて撤退します。この政治的・軍事的空白、間隙を衝いてアングロ人・サクソン人(ゲルマン人の一派)がブリタニアに大挙侵入、その後「アングロ人の土地、England」が始まります。

時代は大英帝国終焉間近、時の首相:チャーチル曰く、「イギリスが過去、ローマ帝国に蹂躙され、影響されたことは、むしろ幸運なことだった。イギリスの歴史はそこから始まった。」 この言葉は、チャーチルだけではなく、ヨーロッパ全ての国の共通認識ではないでしょうか。…でなければ、誰がEU(欧州連合)の構想を持つことが出来たでしょうか。これこそがローマ文明の<<普遍性>>なのでしょう。

吹きっさらしの丘を下り、幹線道路近くの村の小さなレストラン(兼ホテル)で遅い昼食。暇そうな女主人が、「ミートパイがお奨め」の由で、早速それを注文します。あまり美味しいとは言えませんが、彼女曰く「イギリス料理ではなくアメリカ料理。中にコーンビーフが入っているの」。そういえば建物はイギリスの田舎風、内装はチープな張りぼて、食べたミートパイもそれにぴったりでした。相変わらず外は灰色の雲に覆われた空、日の暮れないうちにYorkへの帰路を急ぐことにしましょう。
* Image: Extent of Roman Empire at the time of Emperor Hadrian AD 117

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January 08, 2009

クリスマス、無理して、イギリスドライブ旅行

息子はヨーク(York)で9月から生活を始めたばかり、電車で2時間をかけて(約350km)、わざわざロンドンまで来てくれました。お金の面から見ればあまり気が進まなかったのですが、こんな機会はたぶん最初で最後(?)とばかり、その彼とクリスマス休暇を利用して、二人でイギリスをドライブ旅行しようということです。

まずは予想が的中。レンタカー営業所のスタッフ曰く、「当然マニュアル。オートマティックは例外で、アメリカ人旅行者が無理してマニュアル車を運転して潰してしまうこともある」。教習所ではマニュアルを運転するが、卒業後はオートマ車しか運転したことのない若い世代の人には困難、若いときにオートマ車を小馬鹿にした世代には、マニュアル車のクラッチとギアチェンジが体に染みついていて、オートマ車に乗り慣れた今でさえ何ら問題なく運転できるのが不思議なぐらいです。久しぶりに父親としての威厳を示すことは出来ても、全行程を運転する羽目になり、これが後日、「やっぱり」という結果になってしまいます。

Petrol Satattionそれにしても、予約してある車がありません。当初は「車のあるところ我々を連れて行く」という話が「やはり、車をこの営業所に持ってくる」に話が変わり、かれこれ1時間待たされてしまいました。「車を持たないロンドン子がクリスマス休暇を故郷に帰るべくレンタカーを使い、今が最も忙しい時期…」と我々には関係のない弁解。


やっとのことで出発! 巡航速度で走っているとマニュアルであることを忘れ、まして粘りのあるディーゼル車であれば、減速してもギアを落とすことを忘れてしまいます。停車までクラッチを踏まず、エンストしてしまうこともやらかしてしまいました。
M1_LDN to York
予想通り「イギリスの冬は曇って暗い」。太陽は東から昇り、北半球では南側を移動するはずなのですが、空は一面灰色太陽の位置が判りません。地図上で出発地は判るのですが、いざ走り出すと現在地がなかなか判りません。マニュアルが当たり前であれば、いわんやGPS(カーナビ)〜おや。実際に自分がいる場所を地図上に照合させるのはなかなか難しいものです。

イギリスですから、日本と同じ左側通行。ということで問題ないのですが、借りた車がプジョー、フランスの車でした。方向指示器を出そうとしたらワイパーが動き出します。ステアリングの左右にあるスイッチバーが逆ということです。それもそろそろなれてきた頃に次の難関が待っています。

効率的な交差点システムでイギリス発祥とされるラウンドアバウト(Roundabout)が現れます。なれると車の流れを極めてスムースに各自の行きたい方向に連れて行ってくれます。…が、日本人ドライバーにとってはこれがくせ者、左折は問題ないのですが、それ以外への進行が問題です、左折・直進・右折だけであればそれほどの問題はありませんが、道路が放射状の場合、ましてや、交わる道路・ラウンドアバウトが2車線の場合は戸惑ってしまい、島をぐるぐる回る羽目になります。これは、ニューヨークで外気温と遮断する為の回転ドア(Revolving Door)になれない日本人が戸惑うのと似ているような気がします。

雲がたれ込め、太陽の位置が判らなかった…ということで、ロンドン市街を抜け、M1と呼ばれる北へ向かうハイウエイに乗るまでにかなりの時間を要してしまい、ヨークに辿り着いたのは6時頃、既に日はかなり前に沈んでいます。

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映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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