July 2007

July 30, 2007

ミー・アンド・ボビー・マギー

久しぶりに、正確には30年ぶりに押し入れの奥からギターを引っ張り出しました。ギターを弾くと言っても、ストロークのみ、早い話が、中途半端な伴奏しか出来ません。私の友人はギターが趣味、イントロ→間奏→エンディングと上手く弾きます。ギターの技量には大きな差があるものの、二人の年齢、音楽の嗜好はほとんど同じです。かくしてデュエットは結成されました。…が、しかし、練習はどうするの? 2人の住む場所は全く離れています。そこで、お互いに車で1時間半の、中間点に在るカラオケ店をスタジオ代わりにすることになりました。ボックスに入ると、まず最初にカラオケ装置の電源を切ることから始まるのが不思議なところです。好きな曲はたくさんあっても、自分で演奏出来る曲と出来ない曲があります。その一つにクリス・クリストファーソンが1969年に作った「Me and Bobby McGee」という、皆さんもご存じの(?)曲があります。歌詞が素晴らしく、そのままロードムービーになるほど視覚的です。

クリストファーソンの歌うBobbyはもちろん女性ですが、ジャニス・ジョップリンはこれを男性に変えて歌っています。ジョップリンの「Me and Bobby McGee」は1971年には全米シングル、アルバム両チャート1位に輝きます。その前年、彼女はそのレコーディングを最後に麻薬中毒が原因でこの世を去っています。彼女は圧倒的歌唱力を持つブルース・シンガーでした。残念ながら、彼女の曲を歌うことは不可能です。



オリジナルであるクリストファーソンの曲はあくまでカントリー。彼が一人で歌うのは少々退屈ですが、これなら何とか出来そうです。↓



彼は、ジャニスの死に際し、曲の一節を彼女に捧げたそうです。「サリナス近くの何処かで、彼女を失ってしまった。( "Somewhere near Salinas, I let her slip away." )」 彼女はビッグ・ブラザー & ホールディング・カンパニーのメンバーとして、「サリナス近くの」、南西に20マイルのモンタレーでデビューしたのでした。

〜ケンタッキーの炭坑から カリフォルニアの太陽まで〜
二人の旅は、ロレッタ・リンへの敬意を込めてケンタッキーの炭坑に始まり、スタイン・ベックが生まれ育った地、彼の「エデンの東」の舞台:サリナス近くで終わります。

我々デュエットは今年の暮れまでにはこの曲を含めた何曲かをモノにしようと意気込んでいます。もちろん、ジャニスを目指しているわけではありません。

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July 16, 2007

オクラホマ・ミキサー

ある年齢以上の人にはほろ苦い話ですが、体育の授業でフォークダンスを最初に踊ったのが「オクラホマ・ミキサー」ではなかったでしょうか。これが地名:「オクラホマ」との最初の出会いであった気がします。その頃、テレビではアメリカ番組の全盛期、そのヒットの一つが「ルート66 Route 66」。そのテーマ:(Get Your Kicks) On Route 66には、…Joplin, Missouriの次、Amarillo、…の前にOklahoma Cityが歌われています。

「オクラホマ」のイメージは、「保守的で、西部劇そのままの田舎」、といったところではなかったでしょうか。「西部劇そのまま…」は
ともかく、後に聞いたマール・ハガードの1969年のヒット曲:「Okie From Muskogee」では愛国的、保守的、素朴な、古き良きアメリカを愛するオクラホマ人が歌われています。そのオフィシャルサイト:Okie From Muskogeeをご覧(ページ下部の歌詞を読みながらお聞き)下さい。…、それにしても、「In Muskogee, Oklahoma, USA」のエンディングは少々大仰です。

彼の本心でしょうか、それとも大袈裟な皮肉なのでしょうか?後にインタビューに応えて、この曲に歌われたオクラホマ人に共感を覚える主旨の発言をしています。この曲を同時代のビーチボーイズが歌っているところが大いなるパロディです。→ The Beach Boys - "Okie from Muskogee" at Central Park 1971

ベトナム戦争の時代、アメリカには厭戦気分が充満、特にサンフランシスコを中心にヒッピームーブメントが勃興します。この曲でも歌われる、まさに「花のサンフランシスコ」の時代でした。この、ある種退廃的なカウンターカルチャーに対しての保守層からのカウンターの一つがマール・ハガードの「Okie From Muskogee」だったのでしょう。

彼はカリフォルニア州ベーカーズフィールドに生まれますが、9歳の時に父親が死去、家庭環境が悪く不良に育ちます。カントリー歌手として知られるようになっても、窃盗の罪でサンクエンティン刑務所に服役した経験の持ち主です。

The Grapes of Wrath彼の両親はオクラホマからの移住者でした。1930年代、ダストボール(砂嵐)が南西部を襲い、追い打ちをかけるように大恐慌がこれら諸州の農民に壊滅的打撃を与えます。農地を捨て、ルート66を西に、カリフォルニアに移住してきたこれらの人々を、彼らの車のナンバープレート:「OK」から、カリフォルニア人は軽蔑を込めて(?)「オーキー」と呼んだのが始まりのようです。1940年ピューリッツァー賞を受賞したスタインベックの「怒りの葡萄」、映画監督:ジョン・フォードがヘンリー・フォンダを主演に、彼らを描いています。辛酸をなめた両親、そしてそれ故の本人の生い立ち。この歌は彼の本音なのでしょう。

easy-ride「Okie From Muskogee」ヒットと同じ年、1969年、カウンターカルチャー、アメリカン・ニューシネマの最高傑作:「イージー・ライダー Easy Rider」が公開されます。ピーター・フォンダ(:ワイアット)とデニス・ホッパー(:ビリー)は、ルート66を東に、バイクを走らせます。

「髪の毛が長い、よそ者」、それだけ(?)の理由でショットガンで撃ち殺されるラストシーン。場面は確か、「オクラ
ホマ」でした。



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July 02, 2007

香港返還10年、その活気は健在です 


私が始めて香港を訪れたのは30年以上も前、オーストラリア・ニュージーランド出張の帰りに飛行機の都合で1泊したのが最初でした。香港の中心市街を真下に、ビルすれすれに啓徳空港(Kai Tak Airport)に着陸する様子はなかなかの迫力でした。通関・入国審査、そして空港ロビーの至る所に自動小銃を抱えるグルカ兵が屯し、「香港は大英帝国の植民地」、ということを実感したものです。街に出ると、漢字と英語、東洋と西洋が混じり合い、秩序と無秩序が同居した猛烈な活気に圧倒されました。

アヘン戦争(1839年及び1856年)の結果、1898年イギリスは清朝中国より獲得したことに始まる植民地は1997年6月30日深夜12時を持って終了、「永遠」とほぼ同義語の「99年間」の租借期間、実際には156年間の歴史でした。大英帝国という既に単なる名誉職で1997年香港返還あった俳優は、ほんとうに世界史の舞台から退場、イギリスというヨーロッパの一国家に戻ってしまいます。次第にその重きを増してきた共産党国が主役の座を奪還、今後50年間2007年香港返還10周年の資本主義体制を保障する「一国二制度」を掲げて舞台に躍り出ます。その50年の内、10年が既に過ぎ去った、というのが今日なのでしょう。「永遠」に比べると50年は短く、過ぎ去ってしまうとこの10年はあっという間でした。

イギリスの撤退、香港人富裕層・知識層の国外流出、日本人観光客の香港離れでした。その穴を埋めたのが中国大陸人の香港流入、お陰で香港経済は危機から立ち直りました。

50年〜30年前の日本。1959年の東京タワー完成、1964年の東京オリンピック、1966年のビートル来日、1970年の大阪万博に向かって突き進んで行きました。中国はまさにその時代なのでしょう。今は死語になりましたが、この時代に急激にお金持ちになった成金、あるいは粗野な人の代表を「農協の団体」と呼び、彼らが世界中を闊歩するのを、嫉妬心を交えて、少々軽蔑的にさえ見ていたことがあります。

日本人自体が「農協」と呼ばれた時代もあったわけですが、失礼ながら、今の中国という国自体、来訪者・流入者は「農協」と似たような感覚で見られているのではないでしょうか。彼らののお陰で香港経済が復活したのは誰もが認めるところです。ただ、その副作用として少々品位(?)が落ちたということも歪めないことでしょうが、長い目で見れば、香港・中国の為には決して悪いことではないと思います。我々もそうやって学んできたのですから。問題は、中国の勢いが2008年北京オリンピック、2010年上海万博に向けてあまりにも急速で、大きすぎることのように思えます。

植民地のにおいは薄れましたが、まだまだ活気が健在な香港、次の10年間を見ていくことにしましょう。

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ISAO

映画・音楽・歴史、そして、自己流ながら、水彩画を描いています。思いついたことを、気の向いたままに、イサオなりに、深く掘り下げていきます。 ※お気づきの点、改善すべき点をどうぞお聞かせ下さい。

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